◆◆◆ 437 ★ 折りたたみカンバスの試作品 ◆◆◆

2005.7.23

個展のときに、ケンタリさんが訪ねてくださった。

オジャラ「誰も来ないわぁ」などと話すと、

ケンタリ「何とか策を練らなきゃイカン」

などと言い、一緒に考えてくださる。

そうして、放哉の作品をシリーズで作ろうかという構想をお話する。

オジャラ「290句位しかないし、まとまると結構話題になると思うんですよね。前に一回作ったことあるから、まあ、作れなくないと思いますし。

展示を意識して、油彩で作ってみようかなと思いまして」

ケンタリ「そりゃ、いい考えかもしらん。至急着手しないと」

オジャラ「自分の絵を見てもらうには、人が見たい絵でなければならないという部分もあるってことっすよね」

ケンタリ「そうなのかもしれん。」

個展に誰も来ないというだけでも、勉強になるものだと思わされる。

画家であるならば、絵で有名にならなければならない。キャラで有名になってどーするよ。たはは。

誰も来ない展覧会に、どうしたら人が来るのかを考えるのが、マーケティングっていう奴なのよ。

しかし、290句を油彩にするというのは、どーいうことなのかを考える。

ホントウにやる気なのか?

描けないということは無いと思う。

放哉も、山頭火も、とりあえずの全部の句に絵をつけて俳画にしたという実績があるのである。

あのときは、書は見れなかったが、練習にはなった。

何よりも、俳句の力がつく。

そうして、放哉のテキストを広げてみる。

うーん。放哉が、自分自身を詠んでいる句が多いのよ。

まあ、俳句というのは、そーいうモノらしいんだけどね。

放哉の絵というのは、絵的にねえ。

差し替えられる部分は美女に差し替えようと思う。

それはまあいい。

差し替えられない句をどー描くかだよねえ。

オジャラよ。それが、表現力というヤツだろう。

鍛えられるぜ。

もう一つの問題は、そんなに沢山の作品を、どうやって同時に作るのかという話である。

作るというのはできると思う。

乾燥をどうするのかという話である。

そうでなくても、乾燥棚は満杯である。

完全に乾燥するまでに、3ヶ月は欲しい。(厚塗りなので)

与謝野晶子の展覧会を見て思ったのは、日本画とか、屏風というのは、小さく収納できて便利だということである。

油彩ときたら、額縁だって嵩張る。

額に傷がつかないように、梱包にも時間がかかる。

額が絵の何倍もする。

290個の額を誂えるのは物理的に、今の経済状態ではムリなのだ。

額を排除して展示できないか?

絵を痛めることなく、作品を収納できないか?

連作を作るとなると、この部分が最も重要になる。

作ればヨイというものではないのである。

 

そうして、放哉の句を見ながら、少し下絵を作ったりもするが、前の作品とたいした違いもないことに気づいて、辞めることにする。

正確には、カンバスの画面を内側に、折りたたんで収納するにはどうすればよいかを真剣に考えるという思考にシフトしていたのである。

蝶番と、添え木を利用して、画面がくっつかないように工夫すれば、折りたたみ式のカンバスを作れるかもしれない。

早速ハンズで材料を買い、いよいよ、試作品を作ってみる。

広げると平らになり、折りたたむと、間に1センチ程の隙間が出来る。

こうすると、乾燥しているときに、絵がくっつかないし、移動するときにも絵は痛まないのである。

1センチの角材を間に挟んで、4個の蝶番を使ってカンバスを止める。

手前の方には、プラスチックの丸い画鋲を使って、カンバス同士がくっつかないように隙間を保つクッションとして使う。

これであれば、カンバス枠の裏に金具をつければ、壁から吊るすこともできるし、会議室用テーブルなどの台に直接置いて、本体だけで立たせることもできるのである。

アタシってば、天才だわぁ。

蝶番4個160円をもう少し安くしたいのよね。(要1000個)