◆◆◆ 402 ★ 招き猫様 ◆◆◆
2005.6.23 |
描いた絵の整理は、いよいよ、大分目処が経ってくる。 こんなに描いていたというのが気分が悪い。 そうして、エディションをつけないで、破棄してしまう、絵(印刷物の裏なんかに描いてある)なんかをゴミ袋に捨ててゆく。 そうすると、その下から、書が500枚程でてきて、しかも、何回か練習したあともあり、これも捨てることにする。 そうして、長いこと、放置していた銅版画の整理を始めると、版画ノートのストックが切れてしまう。 自宅にてプリント。 作品を整理するバインダー用のビニール袋も買い足すことにする。 |
こんな絵でも、まず、コピーしそんじの紙の裏なんかに、ボールペンで何十枚か描いて、形が取れるようになった後、今度は、ペンと水彩紙で見れる形に描けるまで、更に何枚も描いてゆく。 指先の表現というのは、本当に難しくて、真剣にやらねばと思わされるのであった。 |
今日は、リサイクルゴミの日で、朝8時までに出さないとならない。 アトリエのダンボールやペットボトルを出しに、早朝から出かける。 そんでもって、書き損じの絵の裏とか、ダンボールの切れ端、生乾きの銅版画を挟むのに使っていた、水彩紙でキレイな紙などに、絵を描こうと思い立つ。 節操無く、何にでも描いているように思われるかもしれないが、水彩紙に描くと、インクの滲みがキレイなので、書き損じの裏であっても、絵の練習になるのである。 そうして、モライモノの紙の裏に描かれた絵を、売るのか、チャリティーに回すのか、おまけにするのかを悩みまくる。 大体、一枚2−3分で描いてしまうし、原価というのは、紙代がほとんどなのだ。紙代はタダだしなあ。 額にも入れないワケだからねえ。 一体この先、何枚増えるんだろうと思いながらも、描きだすと止めることはできない。 机の上が、もう、絵で一杯になったので、乾燥するまでの間、一旦自宅に帰り、何か食べようと思い立つ。 オットが有給消化中で、自宅にいるので、家で食べなければならないという理由からである。 オットが家にいるので、自宅での早朝ドローイングはもう出来なくなってしまう。 |
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絵を整理していると、てぬぐいの下絵というのもゴッソリと出てくる。(だいたいが、ノートなどに連続して何枚も書かれていて、そのノートがいくつかに分かれている) 一体いつ描いたのかも覚えていないのだが、これを数に入れるのか、捨てるのかにも悩まされる。 一旦浮かんだアイディアは、その絵を見さえすれば思い出すワケで、捨てることもないと思うのだが、ファイルして保存する程の作品でもない。 一時が万事、こんなことの繰り返しで、机の上には、未整理の銅版画やドローイングがまだ山積みになっている。 そうして、これから色を塗る予定の水彩画も、何枚もあって、あとりえは、描いた絵との戦いという感じ。 |
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その後、大量に描いていた、わら半紙の絵にも、まだエディションを付けていない事に気づいて、うんざりとしてくる。
銅版画の後だよな。はぁ。 学芸員の人というのは、こういう作業をずーっと続けるワケで、それはそれで、大変な仕事だと思わないワケでもない。 しかしながら、自分で創作しないというのに、整理ばかりしている人生というのは、なんだかついてない。 ピカソとかって、どうしていたんだろうなあ。 画家の人が、スケッチブックを使うけど、あれは、あれで、バラバラにならないから、意味があるということに、最近気づき始めた。 そんでも、アタシの場合、インクと水を使うので、乾燥に時間がかかりすぎて、綴じたままにはできないんだよね。 エディションつければ、少なくとも、描かれた年は解るからね。 まあ、つけないよりはいいだろう。うん。 |
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