しゃぼんだま あおいそら
(ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆ 5440★ 受容するという価値観 ◆

2021.7.26.

私の人生観を大きく変えたのは、バリ島暮らしの4年間だったと思う。

バリ島は【バリヒンズー教】

インドネシア諸島のほとんどは【イスラム教】

【キリスト教】は、そういう、アウェイな土地柄で、離島の隅っこで、細々と頑張っている。

そういう国だった。

仏教徒は、ほとんどが異国人ということになる。

その、三つ巴の宗教対立が長いので、皆さん、モメないように気を配りながら生活している。

基本的に、名を名乗ると、どの宗教か理解できる明快さ。笑。

そうして、私の名前などは、どの宗教か解らないので、まず、知人になると、最初に宗教を確認される。

そうして、「ブッダ」と答えると、皆、敵対する宗教ではないと安堵し、少しフレンド感が増すのである。(本当)

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という事情から、他の宗教を否定するなど、一番のタブーであった。(殺されかねない、重要注意事項)

みんな、ある意味、他の宗教の人を怒らせないように、ピリピリしながら、相手を悪く言わないように、本当に努力して生活しているということが伝わってきた。

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逆に、「自分は無宗教だ」などと名乗ると、そちらの方が、お化けかなんか見ている気になるのか、信頼されないというムードだった。

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もう一つ、バリ島の、私の家がある村の、もっと静かな、奥深い場所は、ゲイが住む愛の巣がイッパイあるエリアで有名だったらしい。

そんなこんなで、よく、手を繋いで歩いている殿方連を見たりもした。

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長年生きてきて、恋愛感情などに対するコメントがあるとすれば、「愛する人が存在して、幸せな人だった」という一点だろう。

愛する人を持たない人も、現代社会には沢山存在する。

その一人で生きなければならない人生の方が、よほど哀しい。

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ギャラリーを経営していたときには、精神障害の女の子なんか(脳卒中で脳が壊れて通ってきた男性も何人かいた)が、何人も集ってきていたりして、私は、心のケアなんかもしてあげていたんだけれども、その話をある美術愛好家に話したら、「売名行為だ」と言い放たれたことがあり、その人には謝ってもらい、もちろん友好関係も解消される。

当然だよね。アタシの怒りは深い。

それは、その人が、障害を持つ人達に対して、商売に利用することしか考えていないということを示すからである。

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そのことは、日本人が、あらゆるマイノリティや、精神的、肉体的なハンディキャップを持たなくてはならなかった人に対して、調和できる日は遠いと感じた。

アタシも、ノーギャラなんでね。

そんな言い方しか出来ない、そのお金持ちが無教養で可哀そうに思えた。

人間性を成長させるということは、簡単ではない。

成長できない人ばかりだし、圧倒的に、自分とは違う価値観を持つ人や、障害を持つ人たちと接している経験値が低いのだ。

としか言いようがないよね。

どう接していいか解らない?

普通に接すればいいんですよ。

それだけだよ。

特別扱いせず、一人では困難な作業などは、介助してあげる。

それだけの話。

あとは、話の辻褄などが少し変だなと思っても、ウンウンと聞いてあげれば、向こうは安心するから。

人の話を聞くという技術は、別に、一般の人と集う時にも、役立つ技術だろうとは思うけど。

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