しゃぼんだま あおいそら
(ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆ 5571★ 夢窓疎石 ◆

2021.10.3.

西芳寺庭園

世界遺産。苔の庭。

執事 藤田隆浩さん

夢窓疎石が作庭した、日本最古の禅寺の庭園。

「山水に得失無し

得失は人の心にあり」

山水という自然が、損得に左右されることはない。損得に左右されるのは、人の心である。」

という教え。

夢窓疎石。

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以下 ウィキちゃん引用

夢窓疎石(むそう そせき)は、鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧・作庭家・漢詩人・歌人。別名を木訥叟[1]。尊称は七朝帝師(しちちょうていし)。宇多天皇9世孫を称する。建仁寺の無隠円範らに学んだ後、元の渡来僧の一山一寧門下の首座となったものの印可に至らず、のち浄智寺の高峰顕日の法を嗣ぐ。夢窓派の祖[2]。

後醍醐天皇にその才覚を見い出されて尊崇を受け、「夢窓国師」の国師号を下賜された。以降、入滅後も含めると計7度の国師号を授与され、後世には七朝帝師と称えられる。禅風においては純粋禅ではなく[注釈 1]、日本の伝統的仏教である天台宗や真言宗とも親和性の高い折衷主義的な試みを行った[2]。そのため、臨済禅の主流派(応燈関派)にこそなれなかったものの、幅広い層からの支持を受けた。たとえば、後醍醐に続き、武家である室町幕府初代将軍の足利尊氏・直義兄弟からも崇敬された。初期室町幕府の実質的指導者である直義との対話を記録した『夢中問答集』は、聖と政の第一人者同士の対談として、思想史上重要である。

禅僧としての業績の他、禅庭・枯山水の完成者として世界史上最高の作庭家の一人であり、天龍寺庭園と西芳寺庭園が「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。夢窓疎石の禅庭は、二条良基の連歌・歌論や世阿弥の猿楽(能楽)とともに、わび・さび・幽玄として以降の日本における美の基準を形成した。後醍醐帝の鎮魂のために建立された天龍寺の造営にあたっては、直義との協議のもと元に天龍寺船を派遣してその儲けによって造営費用を捻出するなど、商売人としての才覚もあった。さらに、五山文学の有力漢詩人であり、和歌においても勅撰和歌集に11首が入集するなど、文学史上でも足跡を残している。

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弟子の数は、13000とも言われ、「国師」の名称を朝廷から与えられた高僧。

ぼんやりしていたときに、疎石様の肖像画を描いたことがある。笑。

禅僧の割には、神経質そうだなと思ったんだよね。笑。

栄西なんかは、もっと、おっとりした感じだったけどねー。

今思えば、大きな禅寺というのは、結構ストイックな集団だしねー。荒廃した寺の再建とかね、要するに、建築費用を集めたり、1万3000人もの雲水の食事代とかさ、大企業のような人事的な仕事もあるからね。

大変だったんだろうと類推できる。

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今思えば、この絵は、麻紙に、日本画で作っているからね。

どこにも発表する日も来ないことを勘案すると、複雑な心境。

日本画は下手糞なのよ。

はー。

でもまあ、絵を描いたことは忘れないわー。

今度、アクリル画でも描くか。笑。

禅僧は、何気で描いている人が少ない。

その時間は、少なくとも禅画を作っている気持ちになるからね。

気持ちは清々しい。

写真が、ちょっと歪んでいるけど。

まあ、仕方がない。

変な名前だなって思ったんだけれどもね。

義満、義政がそれぞれ、彼の庭園(西芳寺)をベースに金閣・銀閣を建築したことは興味深い。

今は世界遺産だもんね。

スゴイ。

東山御物。まだまだ、この辺りの繋がりを学ぶ必要がある。

銀閣は、西芳寺庭園にあった、瑠璃殿を模しているらしい。

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この絵は不出来(似ていない)だったので、もう1枚描いた記憶があるけれども、写真はみつからないのよね。汗。

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18日追記

もう一枚見つかったので、一応入れておきました。

自分の日記なんで、アタシが思い出すためです。

新しいのは上の絵です。

まあ、多少良いかなと。(*゜▽゜*)ノ

下手は下手だが、それは仕方ないことですわー。

スゴイなで肩だー。笑。

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書かれた歌の意味が解らなかったので、グーグル様にお伺い。

元の記事

心ある人(=尊氏)は訪れた今日だけは、 散りゆく桜の定めを忘れることができる。

盛りをば 見る人多し 散る花の 後を訪ふこそ 情けなりけれ

満開をすぎて桜の良さが分かる尊氏は情けを知る人。 すなわち心の中に散らぬ桜を持っている人物だと。

夢窓の尊氏賞賛は有名で、 南北朝時代の歴史書「梅松論」の中では

「仁徳を兼ね給へるうえに尚大いなる徳有るなり。」

仁徳を兼ね備えている上に、さらに3つの徳があり、

戦いに臨んでも微笑をたたえて恐れない勇気
思いやりがあり、敵をも憎まない寛容さ
富への執着がない
こんな将軍は末代まで現れないだろう、と称していたという。 歴史書はその時代の権力者に有利な内容になるものだけど、 和歌も残っているのだから、尊氏は偉大な人物だったのかも。

晩年にこんな桜歌を残しており、

これやまた 春の形見と なりなまし 心に散らぬ 花の面影

行く末の 春をも人は 頼むらむ 花の別れは 老いぞ悲しき

桜への想いは西行に似たものもあったかもしれない。 でも夢窓の桜観を最も表したのは、

見るほどは 世の憂きことも 忘られて 隠れ家となる 山桜かな

山桜の花そのものが世俗から切り離された隠れ家。 夢窓にとっての桜は、心を整えるための花だった。

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以上転載終了。

ステキな話ねー。(*゜▽゜*)ノ

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盛りをば 見る人多し 散る花の 後を訪ふこそ 情けなりけれ

満開をすぎて桜の良さが分かる尊氏は情けを知る人。 すなわち心の中に散らぬ桜を持っている人物だと。

 

心の中に、散らぬ桜を持つ人物。

(*゜▽゜*)ノ

美しい表現だわー。

(この絵を描いたときには、情報は皆無であったが、結局ご縁があれば、この方のことを知る日が来るし、解らなかった歌の意味も理解できる日が来る)

これが、必然という奴かー。

 

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