しゃぼんだま あおいそら 
(ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆ 5398 ★ イサムノグチ ◆

2021.7.8.

イサムノグチ

1904-1988

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彫刻で未来を変えようとした男

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1904年 ロサンゼルスで産まれる。

父 野口米次郎 

母 レオニー・ギルモア(野口の翻訳を手伝っていた)

野口は、2歳の時に、父を追って日本に来日。そのときには、父は別な女性と結婚していた。

レオニーは11年間日本に滞在し、帰国してしまう。

13歳のとき、野口は、たった一人でアメリカに戻る。

しかし、日本人の父親を持つ野口は、アメリカでも一人きりだった。

そこで出会ったのが彫刻表現。

手先が器用だった野口は、彫刻の道に進む。

21歳

「私の前に新しい美術の世界が急速に開けた」

コンスタンティン ブランクーシの抽象彫刻に衝撃を受け、渡パリ。彼に半年程師事。

その後、フジタや、ジャコメッティなどの集う1920年代のパリで、模倣ではない、自分独自の表現にならなければならないと決意し、彼の元を離れてゆく。

野口はヨーロッパとアメリカを行き来し、最先端のアートを手に入れて行く。

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46歳のときに、父の故郷、日本に帰国。

醍醐寺の枯山水を見て、「空間を司る彫刻を目指す」ようになる。

「岩石がただ単にそこに置かれているのではない。

それらは地面からはい出ていてその重量が大地と結びついていると感じる。

ここには掃き清められた清浄な宇宙が存在する。」

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空間を司る彫刻。

自身の目指す道が出て来る。

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建築家安藤忠雄

1970年代の後半に、交流がある鋭い顔をしていました。

安藤の建築を野口が気に入り、急遽そこで展覧会を開いたこともあった。

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その彫刻が建物が置かれた時に、一気に緊張感が走った。

「意思がどのような形にして欲しいかという声が聞こえてくる。その声をよく聞きながら自分を入れて、そして、その緊張感の中で作り上げるのが彫刻だ。」とノグチは安藤に語った。

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一切の妥協を許さず、制作にも展示の仕方にも、こだわり抜いた野口。

いつも、激しかった。ちょっと彫刻を見る目が全然違った。仕事をする姿も違った。エネルギッシュな方は、いつも未来は輝いている。いつも未来を見つめている人は激しい。

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