しゃぼんだま あおいそら 
(ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆ 5205 ★ 村上華岳先生 ◆

2021.4.30.

画壇から離れ、神戸の自宅で宗教的な作品を描き続けた。

自らの作画を祈りの行為だという。

終生、武道的な生活を送りながら、内面世界を追及した。

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なるほど。

画壇には入っていなかったんだ。

そうだよねー。笑。

だから、独自の世界が発展していったんだよね。

画壇にも、観客にも媚びずにね。

スゴイよねー。

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アタシも、一人で絵を描いているからね。

画壇にチャレンジしないのかとか聞いてくる人は多い。

もしくは、絵を描く高齢の人と会うと、自分は××画壇に所属しています。などと、招待券が送られてきたりもする。

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国立新美術館ができて、どの画壇も国立新で展覧会をしたいからね、ムリするんだよね。

力もないのに、大きい絵を描かせたりさ。会員を無駄に増やすために、画壇の質が下がったり。

流石に、国画とか、日展の最初の部屋(審査員クラスという意味)なんかは、クオリティ高いなと思うけどさ。

どこにも所属しないで絵を描き続けるという行動は、画家にとっては、孤立を意味する。

要するに、発表もしないわけだしね。

まあ、華岳先生ぐらいになれば、画商さんがついていて、定期的に買いに訪問されて、それなりに販売していたと類推できる。

山種さんが買ってるぐらいだもんな。笑。

時代は、大きく変わってしまい、アートのマーケットは、昔の優れた作品や、ニセ、現代の作品、アニメやフィギアなどが混在する、メルティングポットである。

その中で生き残るというのは、どういうことなのか。

私はずっと考えている。

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画壇に生きるということは、大きい絵を一年に何枚も描くということと等しい。

絵具代と、画壇に支払うお金で、貧乏な画家先生も沢山知っている。

お金が無駄だからと、絵を辞めてしまった人も知っている。

【画壇悪】とでもいうのかな。

賞を取れば、最低でも有名画廊からデビュー出来るようなマーケットにならないとさ、どんなに優れた絵であっても、趣味の人と呼ばれてしまうのだ。

それはそれで、見る方にも問題がある。大衆も全く成長していないのだ。

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メモ 府中市美術館 与謝野蕪村展

 

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