しゃぼんだま あおいそら
(ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆ 5160★ 良い文 ◆

2021.4.15.

この文の掲載場所

https://news.yahoo.co.jp/articles/

5250d6daaa8b6d55952a7444300909761ebe25f2?page=2

ヤフーニュウスは、すぐに消えてしまうので、こちらにも内容を忘れないように転記させていただいています。

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以下一部転記

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他人の心に訴える、本当の文学です。文学とは何でもない、私たちの心に訴えるものなのです。

 文学がそういうものなら(そうあるべきなのですが)、私たちは文学者になろうと思えばなれます。文学者になれないのは、書いたことがないからでも、漢文が書けないからでもありません。心に思想がわいてきたそのままをバンヤン(イギリスの宗教文学者)のように書き出すことができるなら、それが最高の文学です。

 カーライル(イギリスの歴史家)の言ったとおり「深く突き詰めると、その深いところには必ず音楽がある」というような文章です。

 私の経験からも、文天祥(中国、南宋末の宰相)や白楽天(白居易。中国、中唐の詩人)が書いた文章を表面的に分析して、それをまねようとして書いた文章より、誤字脱字があったとしても、自分の思ったままを書いたほうが、自分で読んでも、他人が読んでもいい文章になるようです。それが文学の秘訣です。

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中略

学問をすれば教師になれると思ってはいけません。教師になる人は学問ができるより(学問もできるに越したことはないですが)若者に教えられる人でなければなりません。教えるというのはひとつの技術です。

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中略

文学は世間から指図されず、自由にできます。多くの独立を目指す人が、政界をやめ、宗教界に来て、宗教界をやめ、教育界に来て、教育界をやめて文学界に来るのはそのためです。

 多くの偉大な人が今までにも文学に逃げ込んで来ました。文学は独立の思想を維持するのに、もっとも便利な隠れ場所なのかもしれません。しかし、誰にでもできることではありません。

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転載終了

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文学者。

世間からは指図されない。

政界者、宗教家、事業家などが、過去を捨てて結局教育界に行き、最後は、文学者となる。

なるほど。

ある意味正しい。笑。

アタシは、誰からも指図されずに、勝手に(電子)本を出版し続けているわけだもんね。大笑。

そういうことだよ。キッパリ。(*゜▽゜*)ノ

 

 

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