しゃぼんだま あおいそら
(ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆ 5149★ 篠田桃紅さん-2 ◆

2021.4.3.

『婦人公論』2018年4月24日号

https://news.yahoo.co.jp/articles/

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記事転載(長期間の間に記事が消えてしまうことがあるため)

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◆アートを選んだ人生は運命だった

これまでの百年余りを話そうたって、こういうこともあった、ああいうこともあったと、限りないくらいあります。長く生きてきたということは、半端ではない。半端ではないから、書物にすれば、それだけで全集になってしまう。長く生きたのだから、当然のことです。

アーティストという仕事柄、日本だけではなくいろんな国の人たちと接します。その幅は広く、関係も深くて長い。長く続けば、何もかもが歴史になります。

若い時に結核になったことすらありましたから、長生きなんかできないと思い込んでいました。それがここまで生きているのだから、思いもかけないことです。

そして仕事が世界中の人に見てもらえる類いの抽象画だったので、多くの国々の人から興味や関心を持たれました。私の20代から30代初めは戦時中で、ほとんど幅の細い人生になるだろうと思っていたのが、いろんな層の人たちに出会うことになった。幸福と言えば幸福なことかもしれませんね。いろんな人種、いろんな階級、いろんな職業。王族や世界的な財閥から下町の店主まで、友人に近い間柄になりました。

特に何もできなくても、墨の線を引いて、かたちをつくっていることで、人とのコミュニケーションが成り立った。抽象画を描いている人間でないと得られないことだったかもしれません。アートというものが持っている範囲の広さは、あらゆる人に語りかけるものですね。

私は、自分の仕事にアートを選んだことが、本当に私の一生の幸せであったと思います。アートというものは、どの人とも同じようにお付き合いができる。生涯独り身で、幸福な家庭を持つことはできなかったけれど、その代わり、別の非常に幸福な生活をすることができたと思います。

人には、それぞれの運命というものがあって、それには皆従わないわけにはいかない。運命の前には、どんな力のある人でも抗うことはできない。アートを選んだ私の人生は運命だったと思います。

歌人・會津八一さんの歌が私の胸を過ります。

天地にわれ一人いて立つごとき

この寂しさを君は微笑む

法隆寺夢殿の救世観音を詠んだ歌です。この世の中でたった一人立っている寂しさ。それを観音様が微笑んでくれていると、會津さんは感じたのでしょう。私はこの歌が非常に好きで、若い時分からずっと書いています。

人は、一人で生きて一人で死ぬ孤独な動物です。そして人生というのは理屈ではない。その人が置かれている境遇、その境遇に対する気の持ち方ややり方で、その人の人生は決まる。そういうことだと思います。

 

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◆昨日の線と今日の線は違う。日々新たなものが宿る

私の仕事は一見、同じことの繰り返しのように見えます。墨の線を引いて、かたちをつくっていますから。でも、繰り返しではありません。昨日引いた線と、今日引いた線は違います。一本一本の線を創造しています。創造する喜び、ありがたさは私にとってかけがえのないもので、線には日々新たなものが宿ります。

百歳も過ぎると、生物としては衰えていく一方。歳とともに私の線も変化しています。線の力強さは体力とともに衰え、その代わり、歳を経たからこそ深まった思考などが、線に深遠さを増しているように思います。

とは言っても、老いることにあまりたくさんのいい点はない。不自由で困ることのほうが多い。だからこそ、老いて初めて得られるものは非常に貴重です。ありがたいと思わなくては。人は無駄に歳を取っているわけではないと思えます。

◆どれだけ長く生きても真理はつかめない

2017年、私は『一〇三歳になってわかったこと』を上梓しました。そして19年は『一〇五歳、死ねないのも困るのよ』を出版しましたが、その僅か2年のあいだでも、103歳の時にはなかった新しい発見を得て、記述しました。衰えるということは悪いこととは限りません。

たとえば、お皿一枚にしても、若い時はこういうお皿だと思っていたのが、歳を取ったらまた別の面白さを同じお皿から見出すようになります。若い時には気がつかなかったけれど、このお皿には面白い点もある、と老いて初めて発見するのです。歳を取らないと見えてこない。

あるいは、私は極端に暑さに弱く、夏は山中湖村で過ごしています。そこで咲く草花を毎年見ていますが、ああこの草花にはこういう美しさがあったのだと、これまでとは違ったアングルで見るようになりました。

歳を取るというのは、一応は悲しむべきことなのでしょう。しかし、悲しむ一点だけではない。小さな草花にもこういう美しさがあったのだと、初めて得られる喜びがあります。歳を取ってみなければ、気がつかなかった、ということは出てきます。

特に人間関係はそうですね。あの人はああいう人だと、それまでずっと思っていたのに、初めてその人の良さに気づく。人に対して、そう簡単にいいとか悪いとか決められない。判断のつかないことだったのだなと改めて思います。

普段の食べものだって、美味しいと思っていたものが、ある歳になると、脂っこく感じたり、味を濃く感じたりして、美味しいとは思わなくなることはありますよね。

価値観というものは、相対的なものです。若い時にいいと思い、今もいいと思えるものもありますが、今になって、やっと良さがわかるというものもあります。常に変わるものです。

真理というものは人の知恵ではとてもつかめない。どれだけ長く生きようが、おそらく会得できないものなのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

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