しゃぼんだま あおいそら
(ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆ 5148★ 篠田桃紅さん-2 ◆

2021.4.3.

『婦人公論』2018年4月24日号

https://news.yahoo.co.jp/articles/

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記事転載(長期間の間に記事が消えてしまうことがあるため)

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◆人が敷いてくれた道を歩くのは性格に合わない

なんとか家を出て、一人で暮らしていけるようにしなくてはと考え、女学校時代のお習字の先生が「あなたはいつでもひとかどの書家になれますよ」と言っていたので、まあ、とにかくご飯が食べられればいいと、一軒家を借りて、お習字を教え始めました。

要は、戦前の古いしきたりに嫌気がさして、とにかく自分は自分で生きてさえいければ、何も無理して結婚しなくてもいいと思ったから、書道の先生を始めた。そして暮らせるようになった、ということです。

そしたらそのうちに戦争になり、疎開した先で結核を患いました。戦争が終わり、九死に一生を得て東京に戻ると、私は30代でした。

その後は、自分が感じるものを好きに表したい、という思いのほうが強まり、書の世界から出ました。書には、約束事や規制がどうしたってあります。たとえば、川という字はタテ三本の線と決まっています。でも私は、川を表すのに、何もタテ三本でなくても、好きなように線を引きたかった。字はあくまでも伝達の道具ですから、約束事の範囲内でやらなくてはなりません。自らを書から解放することで、私は墨を用いた抽象表現という新しいジャンルを切り拓いていきました。その頃の心境は、高村光太郎の詩「道程」と同じです。

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

高村光太郎さんのような天才的な詩人は、自分の後に道ができるという自負があったのでしょう。私の後に道などありません。でも、私の前に道がなかったことは事実です。一人でずっとやってきました。

私はわがままだから、人が敷いてくれた道をゆっくり歩いていけばいいというような人生は、自分の性格には合わないからしようがない。手探りで生きていくしかない、と思っていました。

◆米国でのかけがえのない出会い

米国へは、行かれるようになったから行きました。43歳の時でした。私が米国へ行くと決まると、新聞社が一斉に取材に来ました。日本にはまだドルなどの外貨がない時代で、米国から往復の飛行機代と滞在費を送金してくれる人がいなければ、誰も渡航することができなかったからです。幸運なことに、私の作品を評価してくれる米国人が現れて、私は行くことになりました。

渡米して最初に、ボストンのギャラリーの招きで展覧会を開きました。その後、ボストンだけで帰国するのはばかばかしいと思い、ニューヨークへ行きました。ニューヨークは世界のアートシーンの中心地でしたから、世界中のアーティストとコレクターが集まっていて、ギャラリーの数は400を超えていました。

しかし一流と言われるギャラリーはそのうち10軒で、3〜4年先までスケジュールは詰まっています。当時のビザは2ヵ月しかもらえませんでしたから、そろそろ帰国の準備をしなければと思っていた矢先に、運良く、作品を見てくれていた「バーサ・シェファー・ギャラリー」の女主人から連絡がありました。予定していた画家の油絵が乾かないからスケジュールが空いたとのこと。急遽、私の展覧会が開かれることが決まり、ビザを更新しました。

この「バーサ・シェファー・ギャラリー」での展覧会がきっかけとなって、シンシナティとシカゴの美術館、ワシントンDCのギャラリーなどでも展覧会が開かれ、私は2ヵ月おきに移民局へ行っては更新して、結局2年以上、米国に滞在していました。

そして数年後に、ジャクソン・ポロック、マーク・ロスコらを擁するニューヨークきってのギャラリー、「ベティ・パーソンズ・ギャラリー」のベティ・パーソンズ女史が私の画商になりました。私の展覧会は定期的に開かれ、彼女が亡くなるまで、私はその都度、ニューヨーク各地を訪れていました。

米国では、かけがえのない出会いがたくさんありました。画家の岡田謙三氏、ジョン・ロックフェラー三世夫妻、近代建築の巨匠ヴァルター・グロピウス、モダン・ジャズ・カルテットのジョン・ルイス、彫刻家のイサム・ノグチ、アカデミー賞主演男優賞を受賞した名優のチャールズ・ロートンなど。今でも時折思い出します。

 

 

 

 

 

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