しゃぼんだま あおいそら
( ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆◆ 5009 ★ サムライ画家 ◆◆

2021.1.21.

コルシカの日本人サムライ画家

松井守男先生

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絵を描くときは和服、フンドシに袴。

日本に帰国中に、コロナとなり、フランスに帰国できなくなってしまう。

そこで、瀬戸内海の家島に滞在。

依頼された家島神社の襖絵にチャレンジする。

 

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神田明神に奉納された抽象画。

光の森。

こんど見に行こう。(*゜▽゜*)ノ

流石に美しい。

アタシも奉納したいけどな。笑。

誰の絵でも受け取ってくれるってことでもないとも思うけど。

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なるほど、抽象画の上に具象画を描くのか。

へー。(*゜▽゜*)ノ

勉強になるー。

抽象画は、アトリエで描いてきて、森の中や、風景の中で、更に加筆。

なるほどー。

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描いている時に、ブツブツと話すのは、なんか、気持ち悪いけどな。

笑。

そんなにブツブツ「出てこい」言わなくても、勝手に出てくるけどな。笑。

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フランスで55年も絵を描いているという画家。

78歳。

あと7年は描けるな。笑。抽象画だけなら、もっと描けると思う。

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1967年政府の派遣留学生として渡仏。

学校でヒドイ苛めにあい、退学してしまう。

画家の先輩の紹介で、憧れのピカソに会うチャンスに恵まれる。

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ピカソのアトリエを訪ねる。

「一秒ごとに俺は、傑作を作っているんだ、お前と話す一秒ごとに、俺が傑作を作れないんだ。

俺の絵に、お前は何が見える」

「僕にはまぶしくて、光しか見えません」

そう答えると、ピカソは、

「明日からお前は来い。アーティストは、光が描けなければダメだ。」

ピカソは、俺を見ろと言い、松井さんは、目を見開いてピカソを見た。

そうすると、ピカソは、お前は俺を見て目をそらさないから、俺のようになる。

ピカソが無くなるまでの5年間、ピカソのアトリエに通った。

やり通すことが、人生の成功者だ。

とピカソに教えてもらった。

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どこの画廊とも契約せず、自分の描きたい物だけを描いてきた。

無名のため、パリでもなかなか認められなかった。

36歳になった。その年、ピカソは、キュビズムを発表した。

その時点で、自分は有名になれなかったから、もう駄目だ。画家にはなれない。

と思い、最後に絵を残そうと、2年間絵に取り組んだ。

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パリの画材店で見つけた面相筆。偶然にも松井さんの故郷で作られている名産品だった。

一番小さい筆で、デッカイ絵を描いてやろう。そう決意。

描き終えたら死ぬつもりだった。

親は何で早く死んじゃったんだ、恋人は自分の事を理解してくれない。フランスも日本もバカバカバカ。

自分の絵を理解してもらえないなどの不満をカンバスにぶつけて、死ぬつもりで地獄を描いていたら、二年ぐらい経つと、絵の中に光が湧いてきて、天国のようになる。

その絵が認められ、以降は、画家として満たされ生きる人生になった。

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スゲー。(*゜▽゜*)ノ

コルシカ島にいながら、祖国日本を思い出すようになる。

瀬戸内海のいえしま。

 

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