しゃぼんだま あおいそら
(ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆◆◆ 4672 ★ 待庵(たいあん) ◆◆◆

2020.10.5.

待庵(たいあん)は、日本最古の茶室で、千利休の作といわれる唯一の現存する茶室。

妙喜庵の書院の南側に接して建つ。

妙喜庵(みょうきあん)は京都府 乙訓郡 大山崎町にある仏教 寺院。山号は豊興山。

「待庵」は、愛知県犬山市の如庵・京都市大徳寺の密庵とともに国宝三茶室に数えられている。

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なるほどねー。(*゜▽゜*)ノ

待庵のことを書くのは、これで二度目だと思う。

当時は、今ほど、床の間についての知識が無かったからね。

ただ、茶道という間口から茶室に入った時に、

●茶室の床の間には、禅語(一行物)を掛けなければならない(花は省略できる)

●茶室には、床の間(軸を掛ける場所)は、絶対に必要

●部屋に入ったら、まず、お辞儀をしてから、掛け軸を拝見する。

などと習う。

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日々是好日の映画で流れたような禅問答。

【意味は分からなくても、形から入れ】という現代茶道の横暴な教えっぷりも見事だし、何の疑問も抱かず(質問しても答えてもらえない中で)何年も茶を習い続ける生徒の忍耐力も日本人的だと思わされる。

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それでも、何年か経てば、床の間の機能であるとか、茶の湯と禅の関係性なども、研究が進んで、なんとなく、謎が解けてくるからスゴイよね。笑。

でもまあ、一番衝撃的だった本質は、

茶道という間口で、禅の教えを広めようという、利休の戦略だろうと思う。

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当時は、東山御物(室町将軍家が中心となって集めた中国からの美術品)が大量に日本に入り込んで、それらを持つことも、金持ちのステータスだったしね、

将軍家は、家屋の修理代を美術品で支払ったりもしていたみたいだし。笑。汗。

そのあと、戦国時代に入れば、人の領土を力づくで取り上げては、華美なお寺や、キンキン ピカピカの仏像を作ることが、平和の象徴みたいな宗教観だったからね。

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利休の「わび茶」の精神は、禅道から流れてくるものだっただろうし、お茶のルーツも、もともとは、

 

建仁寺開山・栄西禅師が、中国から茶種を持ち帰って日本において栽培を奨励し、喫茶の法を普及されたことが始まりである。

ネット情報では、その前から、茶の栽培はされていたらしいけれども、栄西禅師が、上流階級に流行っていた喫茶を、(茶葉の栽培面積を拡大して)一般庶民にまで広げる活動をしたということのよう。

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そういう、禅のお寺と、お茶栽培や、(商品化)という話が、もともと密接な関係性を持っていたわけかー。なるほどー。

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社会科、歴史の勉強的な内容になってきたわねー。

禅画を描くに当たって、やっぱり、イロイロ勉強しないとだもんね。

お茶にしたってさ。笑。

いつまでも、キッチン茶人って話だと、説得力がないもんね。笑。

 

   

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