しゃぼんだま あおいそら
(ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆◆◆ 4619 ★ 室町時代の中国絵画蒐集 ◆◆◆

2020.9.26.

茶道のスタートより、更に少し前、足利将軍時代の話に遡る。

彼らも、財政は厳しかった。

中国との貿易を再開して、中国絵画を沢山輸入して、自らのチームが値段設定をして、

展示会場を作ったり、

絵画作品などを、官僚達に配ったり

時には、工事の普請代として、物納されたりもしたらしい。

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彼らが歴代に渡って蒐集した美術品は、「東山御物」と呼ばれ、後の戦国大名たちが、こぞって集めたという歴史につながる。

トーハクの所有する、中国からの水墨画などで、国宝に指定されている品の、ほとんどが、この、「東山御物」と聞いて、アタシは、やっと、自分の中でモヤモヤとしていた、アートの価格の絡繰りの謎が解けたのだという気がした。

それぐらい、長い時間を掛けて、絵を見続けたということになる。

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信長は、足利将軍を京都から追放し、実質的な支配者となるけれども、将軍家を滅亡させたりはしなかった。逆に、関係を修復しようと試みもしたらしい。

足利将軍を保護した大名なんかは、彼らと共に引っ越してきた宝物も手に入れたということなんだろう。

信長が、明智に殺され、秀吉の天下となったら、足利昭義は、京都に戻れることになって、秀吉も手厚く扱ったらしい。

これは、ある種の売名行為だろうと思うけど、まあ、この時に、昭義が、秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)として名前が残されていることから、秀吉の話し相手になっていたこともあったのかもしれない。

まあそうだよね。

天下人というのは、孤独だろうし、秀吉は、特に、人が信用できなくなって、結構晩年はヤバかったみたいだもんね。

千利休も切腹させられちゃうしさ。

千利休自体も、それなりの権力や地位のようなものが与えられていたみたいだし、武将に対する影響力も大きかったからね。

仕方ないよ。

戦国武将達が、こぞって、利休の弟子になりたがった、「茶の湯」という世界、

「茶の湯」の何がそんなに、魅力であり、集客できるのか。

これこそが、茶道のルーツであり、研究すべきテーマだろうと思う。

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