しゃぼんだま あおいそら
(ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆◆◆ 4731 ★ 安泰寺 ◆◆◆

2020.10.17.

安泰寺では驚くことばかり。

「お前が安泰寺を作るんだ」と言われた。

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自給自足の生活の中で、

ある日、乾麺を頂いた。

それを料理して、(乾麺を作ったのが初めてだったため)

アルデンテに仕上げたら、硬すぎると怒られた。

次の日に、30分茹でたら、粥になってしまう。

そして怒られる。

ネルケ「私は、座禅しに来たのであって、料理を作りに来たのではない」

と告げると、

堂長「お前なんか、どうでもいい」

と言われた。

この時に、自分はカボチャだった。

私に求められていることは、今は、座禅ではない。私の創作料理でもない。

食べる人が旨いと思える料理を作ることだということが理解できた。

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15日座禅というのがあり、

15日間、15時間座禅する。

3日目ぐらいに、辛くて、もう死にたいと思い、そう告げると、

裏には、墓が余っているから、そこで死ねと言われた。

そのときに、

「ああ、死にそうに辛いけれどもまだ、死んでいない、まだ生きている。」ということに気づけた。

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天地一体。というのが、安泰寺のモットー。

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他のドイツ人の修行僧。

ヒンズーや、キリスト教、様々な宗教を試したが、自分の不満は募る一方だった。

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托鉢などの恵みで生活することもできるが、それだと、精神が甘やかされてしまう。

自然の中で育てた食物を頂く、働くことと食べる事を分離しないという考え。

私たちは、生かされて生きているという実感がわかないと思う。

自分の力で生きている、金を稼いでいると思いがち。

しかし、(生きているものを食べて)生かされているということには気づかない。

私たちは、労働というものは、売ったり、買ったりするものだと思っているかもしれない。絶えず、競争しなければならない。

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ところが、仏教(禅の世界)は、自分で作ったものを頂く、多くできた分は手放す。

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地元の漁師さんが、増えすぎて駆除された鹿を持ってきてくれた。

それは貴重なたんぱく源となるので、有難く頂き、皮や骨は、土の肥料として戻す。

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宗教が起きた理由は、それ以前の人たちは、自給自足だったため、生かされていることに気づけた。

2500年以降は、コイン稼ぎのための人生になってしまった。

勝った、巻けた、比較ゲーム

そういう社会生活になってしまった。

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そんなに必死に稼ごうとしなくてもいいんだよ。という教えが、仏教の現代社会での意義であると思う。

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ネットの中で、友達を増やしたり、バーチャルな世界でしかないのに、イイネや、友達の増減で死にたくなったりもする。

そういう社会のゲームから離れて、座禅を組む。

儲けた、損した、

もしくは、勝った負けた、という社会構造から離れて、そういう人生だけで

 

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座禅して、「いま、ここに戻る。」

考えが湧いてくることもあるんだけれども、それもどんどんと手放してゆく。

鳥の声、自分の吐く息、吸う息にも気づかなかった自分に気づかせてくれた。

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心に余裕ができると、今までは、得しよう、得しようとばかり思っていた者が、相手も勝たせてあげようと思ったりもできるようになる。

そういう、余裕が出て来る。

相手が嬉しかったら、そのゲーム、相手にも勝たせてあげよう。

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さすが京大。(*゜▽゜*)ノ

言葉に無駄が無く、しかも分かりやすい。それは、相手に配慮した行動がとれるようになったからだと思う。

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「天地いっぱいの我」

「天地いっぱいのいま、ここ」

、ここ自分。

ここを離れることはできない。

他と比較することでしか、自分の存在を確認できない。

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「天地いっぱいの我、今ここ」

というのは、優劣や勝ち負けのない、しかし、この世界に生きているのである。

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結論から言えば、生きる事に意味はない。

子どもも、孫も死ぬ。

意味なくたっていいじゃないか。

むしろ、その方がホっとする。

私は、そのことに気づいた時に、ホットした。

生の命というものには、意味は通用しない。

今吐いている一呼吸に、意味を探しても、意味は無い。

自分が生きている、この一瞬に、意味を求めても仕方がない。

それに気づくと、「この生きている瞬間を忘れないようにしよう」と思えてくる。

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当たり前と思えることも当たり前ではない。虫の声、鳥の声を聴いているんだ、そういう愉しさ、喜び、

今日もちゃんと、ごはんが食べれる、味噌汁もおかずもついて、満腹になれるという幸せ。

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