しゃぼんだま あおいそら (ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆◆◆ 4098 ★ 渡辺崋山先生 ◆◆◆

2020.3.21.

 

渡辺崋山先生。


肖像画の下絵は、最低でも14枚が確認されている(ものもある)。
(*゜▽゜*)ノ
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家老にまで上り詰めたが、幕府に逆らったという罪で蟄居となる。


そのときにも絵を描いていたが、蟄居中に絵を売りさばいていたという噂が立ち、藩に迷惑がかかるのを恐れ自決。

画家の最後としては、複雑な心境となる最後である。。

まだ、描けたと思うけどな。

引きこもりは、自律神経が乱れて、ウツ気味になるからね。

考えても仕方ない。

残された絵を、敬意を表して拝見することしか、私にできることはない。

トーハクに展示されていた美しく、気高い絵のことを、私は忘れないだろう。

 

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農村風景なんかを描いたお作品も、のびやかで、楽し気で、美しい。


アタシは、絵が、楽しみながら作られたものかということをとても大切にしていて、そういうものが、感じられる作家さんの絵が好きだ。

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美術館の展示には、作家さんによっては、習作や、スケッチブックごと とか、 巻物での下絵などが展示されていることも多くて、そのスケッチ一つ一つに、画家の性格が出る。

膨大な下絵や、動植物のスケッチは、結果的には、本画に出てきて、本画が素晴らしく光り輝いてくる。

若い作家さんの中には素描や習作を軽く考えている人が多いけれども、そんな人は、結局鳴かず飛ばずで終わってしまうのだ。(*゜▽゜*)ノ

そうして、そのことに気づいて(もしくは、天性の才で)、コツコツ作り進んだものだけだよね、絵が残るのは。

 

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コメント

白兎 「  渥美半島の付け根にあった田原藩家老でしたが蘭学者で画家でもありました。蛮社の獄で切腹したんです。家老といっても田原藩が1万2000石の小藩ですから生活は困窮していて、心ある友人が崋山の画を売って生活費を得ようと目論んだら、今度はそれを咎められるという始末・・・・。才能はあっても不遇な生涯の人でしたね。僕は田原へいったことありますです。

 

りんご 「  絵の才があり、絵が描けて、絵が残ったのですから、不遇ではなかったんですよ。貧乏だったのは、ついてなかったですよ。でもまあ、金持ちが没落するという話もありますからね。金持ちのまま生涯を終えるか、貧乏なまま、生涯を終えるか、貧乏を乗り越えて小金を持つか、その3パターンですよ。家が金持ちでも、次男とか、女性であれば、ゼロスタートに等しいですしね。



白兎 「  りんごさん。僕は貧乏人の子だくさんの農家の五男坊ですから冷や飯食いの典型でしたよ。一八歳で上京して一〇年で挫折して故郷へ逃げ帰りましたが、華やかな都会での極貧生活はその後の人生の肥やしになったことは事実です。

りんご 「  そうなんですよ。それは、日本の、長男が相続するという習慣とか、制度による話にも及びますがね、財産が平等に分配されるとはいいながら、実態はここに違いがあって、ゼロスタートの人は、良い会社で働き続ければ、リッチになれますけれども、そうでない人は、様々なんですよ。格差というのは、家族構成や、実家の遺産なんかによっても変わるんです。

それでも、コツコツ働いて、無駄遣いせず、奥さんも働けばね、平均的な生活はできるはずなんですけれどもね。


白兎 「  りんごさん。新婚当時は共稼ぎしてもらってたちまち数百万円残しました。それを頭金にして建売住宅を購入。六年間間住んで1700万円で売却。借入金1000万円を返済して700万円残りました。バブルの時代はよかったね。

りんご 「  おおっ。(*゜▽゜*)ノ そうですよ。バブル経験者は、バブル銭で、多少の豪遊はありましたけれども、この先、経験のない若い人は、なんか、可哀そうになりますよ。

 

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