しゃぼんだま あおいそら (ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆◆◆ 4084 ★ ゴッホの苦悩。 ◆◆◆

2020.3.15.

ゴッホの苦悩。

絵は一枚も売れず、認められない日々。

弟の仕送りに頼るしかない生活。

『僕は、人生においても、絵画においても、神などなくてもやっていけるが、
でも、とても苦しんでいて、
何か僕以上に偉大な物、僕の生命力であり、僕の想像力となるものがないと、どうしてもやってゆけない。』

そんなとき、日本の芸術を紹介する雑誌を思い出し、開いてみる。

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『日本美術を研究すると、明らかに賢く、哲学的で、知的な人物に出あう。その人は、何をして時を過ごしているんだろうか?
地球と月の距離を研究しているのか・
違う、
ビスマルクの地球を研究しているのか・

嫌、違う。その人は、一本の草の根を研究しているんだ。

どうかね、まるで、自分自身が花であるかのように、自然の中で生きる。
こんなに単純な、日本人が教えてくれるものが、真の宗教ではないのか?』

ゴッホ、弟テオへの手紙より

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ゴッホは、日本の草(稲穂)の絵を壁にかけ、毎日眺めた。

そして、ゴッホ自身も、草や花の絵を描き始める。

ゴッホは何枚も描き続けた。

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以下私感。

このときには、ゴッホは、もう、神は信じていなかった。

が、

日本人の描いた稲の素描(たぶん、浮世絵版画か、カンタンな手書きの作品)の中に、生命の起源、絵の神髄を見出したのだと思う。

ゴッホは、ミレーの時にもそうだったけれども、人の作品を模写し続けて、その中から、自分の絵が出て来るようなところがある画家である。

人の絵を模写しても、それは、ゴッホの絵となってしまい、それは、芸術家にとって、最も必要な才だろうとアタシは考えている。

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ゴーギャンも、ゴッホの絵の、単純な写生に対する創作活動に対して、もっと、目に見えない何かを加えるとか、絵を構成し直すなどのやりとりも、あったのだ。
それは、ゴッホを激高させ、それに怯えたゴーギャンは、共同生活からエスケープせざるを得なくなり、耳切事件にまで発展してしまう。

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コメント

k林「ゴーギャンがアルルに行ったのは必ずしもゴッホの呼びかけに応えたわけではない。
自分の絵を買ってくれるテオとの関係を壊したくなかったのだ。
ゴーギャンは自分の絵こそ芸術だという自信家でゴッホとぶつかるのは自然の流れだった。ところがゴッホは自ら精神病院に入院してからイメージの絵を描き始める。それはゴーギャンの言う「絵画」であった。

りんご 「テオに、金を渡され、頼まれたんですよ。笑。(*゜▽゜*)ノ ゴーギャンも貧乏でしたからねー。


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