しゃぼんだま あおいそら (ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆◆◆ 4073 ★ ドキュメンタリー「太陽の塔」-2 ◆◆◆

2020.3.6.


「TARO」

母かのこが、創作活動に集中するときには、幼い太郎を帯で柱に縛り付けておいて、仕事をしたという。
どんなに泣き叫んでも、見向きもされなかった。
太郎は、創作とは、命がけで、このように臨むものなのだと子ども心に、思ったのだそうだ。

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カノコ(母)も一平(父)も、太郎のことは、子ども扱いしたことはなかった。
藝大一年生だった太郎は、父が渡パリをするタイミングで、一緒についていって、パリに移住するつもりだった。

パリは、それまでは地球を導いてきた西洋世界が、全面戦争にはいる準備期間。
この時期に、アバンギャルドな最先端の美術集団と関わっている。
抽象表現であれば、国籍は不要であるという理由からである。

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けれども、TAROは、25歳の時に、痛ましき腕という(具象)作品を描いてしまう。
という絵を描いてしまう。どうみても、抽象芸術ではない。これをみた、アンドレブルトンは、シュールリアリストとして、TAROをグループに誘う。

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太郎は、この誘いを断った。

おなじ絵画を志すものに、右も左もないという理由からである。
そして、「人間について学ばなければならない」と考えるようになる。

その時期、古来の呪術に使われていた仮面を見るチャンスがあり、芸術家でもない、普通の者が仮面を作っている。

お芸術ではないのである。

太郎は、
「マルセル・モース(社会学者・文化人類学者)」に傾倒するようになり、大学も、民族学科に編入する。

「今ある現代生活の中に、古代文明とか、旧石器以来の人間の思考力が、別の形で展開しているというのを発見するのが上手な人だった。

「贈与論」で有名なマルセル・モースだが、仮面には、当時それを作った人間の精神世界を映しだしている。

それを読み解く方法を学べば、どんな心理だったかも、読み解くことができるという論を最初に作った学者。

神話の中に、ビジョンがある。と、モースは説き、
太郎は、その教え、神話の力を信じていた。

「近代社会が抑圧し、否定してしまった人間の原始的な可能性について、とても深い思いやりがあったと思います。」
「芸術家ということが、ただの画家だとは思わないのです。全体的な、普遍的な存在として生きるのです。そのためにも、世界で起こったすべての事を知らなければならないのです。だから、マルセル・モースの民俗学 は、私を夢中にさせました。(太郎)」

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