しゃぼんだま あおいそら (ブログ by 芸術家 おじゃら りんご) |
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◆◆◆ 4058 ★ 丸の内、東京エリアを襲撃 ◆◆◆
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2020.2.26.
本日、丸の内、東京エリアを襲撃。 三菱の子供の絵展、 出光の、狩野派、 東京ステーションギャラリーでバルセロナ展。 それぞれ、趣の違う展示で、まあ、狩野派は、やっぱ、勉強になったかな。 https://www.facebook.com/rica.ojara/posts/2360902227319719 リンクは、アタシが書いた、以前の記事だけれども、 今回、 室町時代とされる掛け軸がいくつも展示されていて、狩野派の人が、その品を、真贋として、鑑定し、カタログを作っている。 鑑定団(今であれば、東京美術倶楽部とか、所定鑑定人とか、そういうポジション)的な役割も果たしていたことが、掛け軸の添え書きなどから理解できる。 要するに、買う方は真贋を見極めることができないから、誰かに、ホンモノだと言ってほしいというニーズにこたえたというような展開だろう。 アタシは、この、美術というウサン臭い世界について、両手放しで、良いと思っているワケではない。真も贋も、絵には違いない。 ぶっちゃけ、贋をハッキリさせて、イイことも無い。 もし、偽という判断が下されれば、買った人、関わった画商さん、画商に売った人、全てがマイナスの人生になってしまうリスクを勘案すれば、穏便に、ホンモノとして扱い、利益を享受するという人が出ても、それは、仕方のないことだろうと思う。 現代には、化学鑑定もあるからね。 ニセをホンモノと言い張れる時代では無くなった。 第一、作品を見れば、「こんな下手な作品が、ホンモノのはずかない」というのは一目なんだけどさ。笑。 アタシは、愛好家だから、内心、「嘘だろー」とは思っても、そういう収集品までも、愛をこめて、楽しむことができるぐらいに、審美眼は成長している。 ぶっちゃけ、アタシの所有物ではないわけで、どっちだって構わない。騒ぎ立てて、大ごとに発展しても面倒だしさ。 ヤバイ、ヤバイとか思いつつ、ニヤニヤ見るぐらいが、丁度いいのである。笑。 ******** からの〜 チョイ飲みセット〜(*゜▽゜*)ノ ******* 2019年9月11日FB記事からの転記 室町将軍 足利義満は、(遣唐使から)500年振りに中国(明朝)に公式の使節を送る。明の皇帝(永楽帝)は、義満を「日本国王」として勅書を渡し、朝貢として貿易を復活させた。 日本から、大量の貢ぎ物を持参し、帰宅時には、中国の美術品を土産として、更に大量に持ち帰る。 特に、唐時代、北宋時代(徽宗皇帝の絵や、コレクションなども含む)のものを多く持ち帰ったという。 *********** 室町幕府は同朋衆という、キュレーター軍団を抱え、文化を政治に利用した。 【天鏡閣】(金閣寺につながっていた)という、美術品のコレクションを展示する場所に、中国から持ち帰った美術品を展示し、天皇などを招き、会所とした。 そして、その、展示品を、天皇や公家に贈り物として進呈、ワイロ的友好のカナメとしてバラ撒いた。 **************** 足利家は、中国美術を、独自の審美眼で、格付けし直した。 【君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)】 という巻物に、その内容が収められている。 ************** ザックリ説明すれば、所有の美術品カタログを巻物にした感じ。 自分は、これが優れているという、番付を作り、皆に見せた、および、格付けの高い品を、皇族に送るなどし、良い品を進呈したような、価格的仕掛けを作ったということになる。 ************* 独自の審美眼で、持ち帰ってきた中国の絵画などを格付けしたという表現は、まあ、表向きの話で、一山いくらで仕入れてきた、無名の画家の作品なども、(沢山あるため)優れているという判を押し、貰った人が喜ぶというように、付加価値をコントロールし、積極的に政治に利用したと考えるべきだろう。 この手の話は、マンガの、「へうげもの」に記されている、信長の、茶道具や、茶道というシステムを戦国武将のインセンティブとして利用した文化戦略に似ていると思わされた。 正しく言えば、室町幕府の錬金の手法を、信長が茶道に応用して、独自の付加価値を高めたという表現が妥当と思える。 ************ 美術の商いは、カタログビジネスだと、ずいぶん前から気づいていたけれども、室町時代からあったというのは、興味深い。 そうだよねー。(*゜▽゜*)ノ ************ 【君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)】 には、美術品の展示方法なども明記されている。 たとえば、三幅のかけ方などが、図解付きで明記。 大名などは、そのマニュアルに倣い、美術品を集め、床の間など作り、客間に飾るなどした。 義政は、仏事の費用三万銭を、美術品で支払う。 同朋衆が、画商の役割を果たし、財政難だった室町幕府の宝物は、どんどんと流失してゆく。 そして、それらは、後に「東山御物」と呼ばれ、有力者・富豪たちに受け継がれ大切にされていった。 ******** そして、室町将軍の美意識が、日本の美の規範となっていった。 くーっ。(*゜▽゜*)ノ ********* 追記、現在日本で国宝になっている中国絵画の(由来の分かっている作品の)ほとんどが、室町将軍家のコレクションである。 |
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