◆◆◆ 386 ★ ベルギー象徴派、 小林古径 ◆◆◆

2005.6.6

ヤフオクで、小林古径のチケットを落札すると、メールが来る。

明日の特別招待展なので、15時に待ち合わせ。

はぁ?

よく読まないで落札したので、仕方ない。

しかし、小林古径の絵は見たい。

何故見たいのかといえば、片岡球子が、天下の小林センセイに、ご忠告頂いたことにとても感謝していると、テレビ番組で語っていたからである。

球ちゃんが、「天下の大先生」と呼ぶ人の絵というのは、一体どんな絵なんだろう?

上村松園よりも上なのか?

その辺を実際に確認しなければならない。

アタシは、日本画というのは、世界で一番高い技術を要する絵画技法だと考えている。

モチロン私観である。

何故そう思うのかといえば、最終的には、一発勝負のやり直しが効かない世界であり、結果を残すためには、物凄い鍛錬が必要だからである。

絵の具の扱いの難しさ、扱う紙や絹といった、描く面の手ごわさ。

両方を熟知し、高い描画の力が無いと、見るに耐えない作品となる。

あーたね、いまどき、絵の具から作るワケよ。

粉をニカワに混ぜてさ、絵の具を作るでしょ。

紙は紙で、自分に合うように、滲み具合なんかを計算して、ドーサを引くでしょ。(紙は市販品もあるらしいけどね。よくは解らない)

それから描く訳よ。

和紙とか、シルクなんは、物凄く薄いので、下絵を透かして、ある程度のフォルムは作ることが出来るんだけどね。

下絵と完成図を並んでみたりすると、転写していない作品というのも無いわけじゃないのよ。

下絵を見ながら、ちとフォルムを変えて作品を作ってるってことになるわけ。

しかも、筆で描いてるんだよ。

ペンとか、エンピツとかじゃないわけよ。

それだけでも、気が遠くなるような制作工程なワケ。さらに、絵の具が、他のどの画材よりもお高いの。

そうして、日本画を見る楽しみというのは、その、動きの捉え方である。

肖像画や風景からスタートしている洋画と比較すると、日本画というのには、もっと動きがある。

古径の作品というのは、初期のデビュー作品などは、ホントウに細部まで精密に描かれていて、アタシは、息を止めて見なければならなかった。

昔の物語の一コマというのが多かったけど、それはそれで、そういうのが人気があったのだから仕方ないと思う。

その中に描かれている瞬間表現。

アタシは、洋画を描きたいワケで、洋画の人は、洋画しか見に行かない傾向があるけど、ゼッタイに日本画の最高レベルの展覧会は、見に行くべきだと思う。

自分の作品がいかに静止しているのかということに愕然とするはずである。

瞬間表現は、意識していれば、ゼッタイに手に入れられるのである。自分で、理解できなければ、作品は売れることがない。

こんな、北斎マンガの模写であっても、一つ一つが瞬間の一コマである。

ジェームスアンソールや、ドガも、北斎マンガを模写したあと、動きに対する理解を深めて、独自の世界を切り開いた。

絵に意味を持たせたり、被写体を動かしたりするというのは、作家が意図して作らなければ出来上がらない。

風景画であっても、風が吹いて、木々を動かしている様子とか、雨や霧がわきあがってくる様子、光が差し込んで、緑が萌えてくる、そういう表現に昇華させなければならない。

被写体を写真のように捉えている絵ばかりを描いているのでは、いつまでたっても、大センセイにはなれないということだ。

古径は、膨大な数の模写と、写生を繰り返したのだそうだ。

絵は、自分で描けるようにならなければならない。

誰も、アタシの作画を手伝ってくれたりはしない。

逆に、一度描けるようになってしまえば、高いレベルの作品を残し続けられるようになる。

古径の展覧会というのは、そういう、精進の軌跡である。

中晩年になると、絵は大らかに、線は伸びやかで且つ、緊張感のある美しさを備えてくる。

サラサラと描いたけど、お高いですというオーラを発している。

難を言わせてもらえば、日本画の人というのは、作品の幅が狭い。

風景、静物、花、人物、物語の挿画。

まあこの程度だよね。

便器の絵とか、キュビズムがあったら、アタシは感激の余り、気絶すると思う。

作画の精進を重ねる余り、新しい世界を取り入れることを否定してきたということなのだろうか?

ヤフオクの出品者である人と待ち合わせる。現代美術館に現れたのは、美人の女子大生。

彼女と古径を堪能した後、レセプションパーティーのワインもがぶ飲みし、次々と出てくるポテトや、細長いパンや、デザート各種を食べ尽した。

彼女もスゴイ飲みップリだったけどなあ。

良い一日であった。

ベルギー象徴派展?

おおっ。書くのを忘れていたが、まあ、あんなもんだと思う。

100年以上前の絵画であるが、後世に残り、世界の美術館を巡回するクラスの絵は、画面に動きがある。

ヌードコレクターとしては、悪くない品揃えだったと思う。作品が素描や銅版画などが中心のため、混んでいると全く見えないということはあると思う。

ポスターなどになって販売されている作品は、ツヤツヤとして、宝石のように美しい美術品である。

絵画は、美人画に限る。

ヨーロッパと、アメリカの好みの差というのはあるなというのは、なんか理解できた。

ヨーロッパの美というのは、日本画のような、基本的な絵画のニーズなのかというのには納得。

ヨーロッパでは、依然女神様圧勝ということのようだ。(日本の場合、風景とか花ね。)

ヨーロッパも、アメリカも、印象派も、更に日本画も見られる日本って、スゲーぜ。

ところが、アートに対する理解が進んでくると、もっと奇抜な品が欲しくなるものなのよ。

初心者、中級者、上級者という風に、嗜好が変わってゆく人もいれば、解りやすい範囲で、高額品を買いあさるというタイプもいて、アートのマーケットは奥深い。

一つだけ言えることは、いい絵は誰だって欲しいということである。

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