◆◆◆ 382 ★ 円空、平山郁夫展 ◆◆◆

2005.6.1

かねてから楽しみにしていた、円空展。

なかなかまとまりのある展覧会で、そごうは頑張っていると思わされる。

友の会に入ろうかと真剣に悩む。

展覧会がヨカッタので、ルーブルを延期してゆっくり見ることにする。

アタシは、とりたてて信心深い方でも無いし、宗教家というワケでもない。

あるとすれば、バリ島暮らしで、自分は仏教徒だということに気づいた程度の話である。

銀行口座を作るのにも、滞在のビザを作るのにも宗教の欄というのがあり、アタシは、都度、仏教徒と書かなければならなかった。

アナタは、宗教の狭間に生きたことがないかもしれないが、その実態というのは恐るべき構造になっている。

それは、名前で宗教がバレてしまうという、シンプルな構造である。

バリ島は、バリヒンズー教がメインだが、イスラム教には、イスラムの名前。

クリスチャンも僅かながら存在して、聞いてもいないのに、彼の宗派がヒンズーではないことを説明されてしまうのだ。

宗教は、根本的な価値観を司り、それぞれが信心深い。

そういう中で、もめごとを起こさない仏教というのは大きいと思わされる。

どちらにしたって、祖父は信心深い男であった。

祖父と寺を回れば、何百体もある水子の地蔵一つ一つに一円玉を置いて歩く。

どんなお地蔵様にも、必ず小銭を置き、深く祈るのが常だった。

仏教のことは解らないながらも、祖父と寺を歩き回り、私も小銭を置くのを手伝った。

そんなに信心深く、慈悲深い祖父から、信心のかけらも無い子供が生まれたんだろうと、それはそれで一つの驚きである。

孫の代となると、祖父が信心深かったということさえ思い出せないという始末である。

円空仏は、どのお顔も笑っていて、あるいは力強くこちらを見据えている。

素朴で、たいして彫られてもいないその木仏は、美術品ではない。

それでも、湧き上がってくる力があり、多くの人を救ってきたのだという、有難いお顔なのである。

作品に引き込む力。

これがホンモノというものである。

作者の力が、木に移り住んでいるのである。

そうしてそれは、円空が無心で、12万体の仏像を作り、迷っている人を救いたいという、真っ直ぐな気持ちから湧き出てきたものなのだ。

どんなに苦しくても、お金が無くても、辛くても、生きてゆかなければならない。木仏を見(て祈)ることにより、そういう辛い気持ちが少しでも和らぐのであればという気持ちで作り続けたのだそうだ。

持つ人に、幸せになって欲しい。

そういう気持ちが伝わってくる、暖かいひと時であった。

その後平山郁夫に流れる。

日本で一番有名な画家である。

実物を見るのは初めて。

今回は日本の風景のスケッチと、本画の展覧会。

ものすごい速さで描かれたスケッチは、どこまでも美しく迷いが無い。

筆と、乾燥後、色がよどまない墨を使って描かれた作品群だというのに、失敗ということがない。

何万枚も絵を描いて手に入れた絵の終着点である。

そうして、美しい色が、迷いの無い線を彩ってゆく。

それにしたって、リトグラフ100万円越えは高すぎるぜ。15万円位にして、ガンガン売れば、幸せになる人ももっと沢山いるんだろうにと思わないわけにはゆかなかった。

どう考えたって、15万円位が妥当だよなあ。三岸節子もリトグラフ一枚37万円で、高いと思ったのになあ。

まあいいか。

デパートにしか絵を見に行かない人は、それ以外の価値を知ることも無いし、その値段が高いとも思わない。高い値段がついていると、価値もあるに違いないと勘違いする人までいる。

それは、勉強不足というもので、買い手の落ち度に他ならない。

作家が、作品を、買い手にどう親しんでもらおうと考えるのかによって、価格というのは変動するものなのである。

美術品となり、お高い場所で生きるのを目指すのか、庶民に親しまれる作品群になるのか。

どちらに進むのかは、作家が決めるのである。

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