◆◆◆ 378 ★ シルクロード展 ◆◆◆

2005.5.25

オットと、かねてから行こうと話していた、江戸東京博物館へ。

メインはシルクロード展。

が、常設展圧勝だった。

シルクロード展が混んでいたということもあるかもしれない。

あれだけ人が入れば、採算は悪くないだろう。

嫌まあ、1200円の価値があるかどうかって話よね。オットと2人で2400円。常設展も見ると1500円だからね。二人で3000円ということ。その価値があるかどうかって話なワケよ。

アタシは、キッパリと、土・日の展覧会巡回は辞めようと思うのだった。

それでも、2000年前の出土物などは、どれも全く古さを感じないデザインで、民具に潜む普遍性というのには感激する。

良いものは、いつ見ても良い。

それは、値段とは関係の無い場所にも潜んでいるということである。

日本の場合、民芸品も、芸術と同じように高いレベルにあるので、日ごろがそういう品に接して生活している日本人は、物凄く、センスが良いし、良し悪しを理解できるデータベースを持っているということである。

江戸時代の古民具や、玩具なんかを見ても、その美しさや可愛らしさというのには引き込まれる。

客観的に見れば、それは芸術作品なのである。

今の、化石化した職人さんが作る作品みたいに、高いお値段ではなかったということだ。

日本で生きるというのには金がかかるからね。自分が作った作品で生きようと思えば、イロイロなコストが上乗せされ、売価が高くなるということである。

それでも、高く売った方が勝ちである。

頑張って儲けたんだ。

誰に後ろ指を指されるという話でもない。

日本人の場合、そこいらの品を、大金を払って買ったりはしない。

大金を払うだけの「芸」を、その品モノの中に見い出したからこそ、「ちょっとお高いけど買おう」

という話になるのである。

もう一方では、金が余って仕方がないという人がいるらしい。

そういう人は、そういう人で、もっとお高い品を買えばよいのである。

そうしないと、金が巡回せずに、経済が破綻してしまう。

それだって、機能の話しだけを考えれば、エダマメを乗せるザルは、100円であっても、1500円のデパート品であっても、そんなに差があるわけではない。

リッチ時代は1500円を使っていたけど、10年経ち、100円ザルとなっても、エダマメの味はそのままに、ビールを引き立たせてくれる。

100円と1500円の差は、あるかもしれないし、無いかも知れないのである。

どちらを選択するのかは、お客様が決める話なのだ。

それでも、エダマメのザルは、生活に必要だが、アートなど、別に必需品というモノでもない。

新聞などのカラーページや、雑誌のグラビア写真なんかを切り取って、冷蔵庫に貼っておけば、用は足りてしまう。

必要の無い品を買うのか、寿司でも食べるのか。

まあ、そういう話になり、人間は寿司を優先させてしまうのである。

購買行動というのは奥深く、長いこと、人はどうやってモノを買うのかというのを研究してきたアタシは、そこから目を離すことができないのである。

アタシが大学で教えていただいた商道は、潔く、正しい世界であった。

卒業して何年も経った後で、やっとそのことに気づかされた気持ちになる。

それは、教授がそういう生真面目な方であり、真面目にお商売を研究し続け、正しい道を説き続けた方だということでもある。

「商品は、適正な価格で、適正な場所で、適正な人によって販売されなければならない。

お金は、一円たりとも、多くいただいても、少なくいただいてもいけない。」

先生に教えていただいた道は、本当に潔く、有り難い。

商品に力があれば(ホンモノという意味)、必ず売れるし、もし、売れないのであれば、もっとよい品で安いモノが他にあるからということになる。

本当に優れた品なのに売れないのであれば、価格が適正でないか、もしくは、それを必要としている人に出会っていないのである。

世の中の仕組みというのは解り易い。

もし、品物が売れているのに採算が合っていないのだとすれば、それは、別な事(本業以外)にお金が出すぎて、企業のバランスが崩れているからであり、それは、女だったり、ゴルフ権の暴落だったり、採算の合わない新規事業だったりもする。

多くの展覧会を見て歩くと、イロイロなことが解ってくる。

若い方達の展覧会の中には、感想を求める紙を渡されることも多い。

「年齢は書きたくないんだよねー」などと、アタシに、キッパリとキョヒされる。書きたくない欄が年齢というのがね。自分の年を認めたくないんだよね。たはは。

あの、アンケートで年齢聞くという作業は、なんか意味があるんだろうか?

解答欄を見るたびに思うんだよね。アタシなんて、永遠に26歳よぉ。たはははは。

取ったデータそのものが、信憑性の無いデータになっているということである。

若い方の展覧会では、一生懸命やっているからと、アタシも何とか感想を書こうと思うのだが、全く書けない展覧会というのもある。

優れた作品と接している時間が短いとそういう展覧会になる。

折角東京に住んでいるのだから、向こうから来てくれる世界の名品を拝ませていただきましょうよ。

美術品と呼ばれるシナモノの中にある芸術性を理解できなければ、自分の作品が芸術になることは有り得ないということなんだろう。たぶん。

最近は、同じ場所に並んでいる品物でも、芸術か芸術でないかも理解できるようになってきて、それはそれでついていないと思うんだよね。爆。

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