◆◆◆ 362 ★ 梅原龍三郎、魯山人、陶芸展など ◆◆◆

2005.5.12

どのルートで展覧会を巡回するのかを練る。

一番最初に、梅原龍三郎を見たい。

理由は、ノウミソが情報過多になると、作品を見る集中力が落ちるからである。

松涛美術館は、渋谷から少し歩くんだよね。

朝からホテル街の中を歩くのもねえ。

(→コース取りに失敗。渋谷はまだよく解ってないのよ)

よくよく考えると、梅原龍三郎の作品をまとまって見るのは初めてである。

なんという透明感なんだろう。

日本画顔料みたいなマチエールが、透明な膜に包まれたような絵の具が塗り重なって、独特の色彩を放っている。

説明文にポリエチレン溶液(木工用ボンドのような品だけど、乾燥すると耐水性になる)に、顔料を溶いて、自分で絵の具を作っていたなどと書いてある。

おおっ。そうなんだ。

いかにもササっと混ぜて、よく混ざってませんみたいな絵の具だもんなあ。それがまた味になっている。

自分で絵の具を作ると、他の人の作品と並んだときにに、差がつけられるんだよねーっ。

そういった絵の具が改良されて、現在ではアクリル絵の具として売られているのだそうだ。なるほどぉ。(内心はちょっと違うと思う。)

金板に描かれた油彩というのも見た。

センセイっ、板にカビ生えてます。

金属は錆びるからねえ。

磨いたりすると、絵の具の定着が悪いので、絵が損傷したりするしねえ。

それでも、金地に描かれた作品には、独特の光が備わって、絵が豪華だった。

売れた作家さんというのは、材料に金がかかっていて、それだけでもスゴイ。

無駄遣いしないで、絵に全てを注いでいるんだということである。

一緒に展示されていた、ルノアールのブロンズ像や、ピカソの油彩とか素描なんかも楽しめた。

やっぱ、買うよねー。

アタシも両方欲しいぜ。汗。

昔は、今みたいに高くなかっただろうしね。

バブルの後遺症は今もアート業界に深刻な影を投げかけていると思わないわけには行かない。

その後、魯山人を見る。

魯山人の器は、どこまでも平凡で、どうということのない作品だった。

が、この後見る、陶芸展。日本陶芸技術の最高峰が集積!を見て謎は解ける。

技術の最高峰は、作品が目立ちすぎて、お料理を乗せたくないの。

皿が、「ゲージツ品なんだから、料理なんか乗せてくれるな」などと、お高く鎮座しているのである。

花器だって、「花よりオレは美しい」的陶酔で、大輪の芍薬くらいじゃないと活けられない状態よぉ。

魯山人圧勝。

同じ日に見たというのは、何かの縁だったんだと思う。

そうして、河井寛治郎の番組で見た、「無の中の美」というのが、なんとなく理解できた。

美を追求して、極めると行き詰まり、民芸の中にホントウの美を見つけた。(などという番組で)そういう、素朴な作品の中にも独自の世界や芸術性が広がってゆく。

魯山人語録の中に、「日本では芸術が育たない」みたいなことが書いてあった。

みんな、優れたモノをマネして満足してしまうからなのだそうだ。

バリ島の土産物屋かよっ。みたいな。

購買決断時に求められているものが、独自性よりも、(今まで見たことがあるというような認知情報の)安心感が優先されるから、独自性が育たないのである。

それでも、陶芸展の入選作を見ると、壷は壷だし、皿は皿である。そこから抜け出ようとすると、もう、器としての用をなさない。

オブジェとしては不足しているものがある。

そういうことなのだ。

その後ロッポンギのモモで開かれているオオタニさんの展覧会を見る。

大谷さんというのは、最近売り出し中のゲンダイ作家さんで、物凄い美人。

アタシが行ったときには、絵の教室があるので画廊には不在だった。

売り出し中でも、生計は絵の教室で立てているということである。

この道は、険しい。

中にはイイ絵もあった。

正確には2枚あった。

ヌードではないので買う線からは外れる。

どちらにしても、お値段的に買えないけど。アタシの絵の3倍位はするからである。

でも、ゴアサさんの作品は欲しいと思ったよなあ。

といいながら、自分で描いちゃったけど。

たはは。

オオタニさんの絵は、アタシには描けない。が欲しいとも思わない。テイストが違うのである。じゅんさんなら持っているかもしれない。

じゅんさんは、ゴアサさんの作品は買わないだろう。汗。好みというのはあるのよね。

アタシが、不忍画廊さんで見た、ウサギの作品は、オオタニさんの描いた絵だったということが判明。(絵を見て解るのよ。)あの絵はヨカッタ。

絵にスっと引き込まれて、自分までウサギになっているのである。

どーいうことかというと、作品にバラつきがあるということである。

仕方がないのよね。大量に描いているから、どうしても、イイ絵と悪い絵が出来るのよ。

が、見る方は見間違わないワケ。

そうすると、「まだ(買うのは)早い」という話になるのよね。

展覧会を見に行くと、勉強になる。

そうして、そういう買う側の気持ちというのは、自分が買う気で歩かないと身につかないのである。

それにしても、不さんの選ぶ作品は、やっぱスゴイぜ。そういう鑑識眼、よい作品を選び抜いて、駄を置かないというのが、売買実績につながっているんだと思わされた。

イイ絵は誰だって欲しいのよ。

同じ作家さんであっても、どの画廊に置かれているのか。これもポイントってことなんだろう。(→初心者の場合ってことで。アタシは、どこに行っても、自分の目で良し悪しが理解できます。キッパリ。)

そうして、あの小さいスペースで、何点かしか置かないというのも、一つの戦略なんだと解ると、画廊経営の奥の深さを思い知る。

その後、日本橋の中島潔さんの展覧会に流れる。動きのある美しい色彩や、人物は可愛らしかった。

それでも、アタシは68万円のリトグラフを売られそうになったことを思い出してしまい楽しめなかった。(トラウマなの)

別に、ナカジマさんが悪いワケではなくて、入った画廊が悪かったのだが、デパートで17万円で売っている絵を、68万円で売られそうになったのである。

今でも怖い思い出である。アタシは、一旦契約させられて5000円を支払う。そうして、それを放棄して、電話でクーリングオフをしたのだった。もう一回行っても、囲まれて、解約できないに決まっているからだ。東京というのは怖いところである。

ミニスカのおねーさんが入り口でポストカードを配っている画廊には、ゼッタイに入ってはいけません。

パリで描かれた彼のヌードクロッキーは欲しいけどなあ。やっぱ、力のある人は、人物がキチっと描けているということである。

その後、不さんに流れ門坂さんの作品を拝見し、外では橋場さんの作品を見て、スタッフのSさんに、「柏の美術館でセリザワケイスケ展をやっているので、オジャラさんには見て欲しいです」などと、勧められる。

「Sさん行ったんですか?」と伺うと、「行きましたぁ。素描が何点もあって、充実していました。」などと語ってくれる。彼女程の絵を見る力のある人がオススメの展覧会なのだから、是非行かなくては。

日本というのは、美術品に溢れているのに、何故、誰も持っていないんだろうと思わないわけにはゆかない。

浮世絵が「かけ蕎麦」一杯と同じ値段で売られていたということを知ると、よく売れたのも理解できる。

貧乏人は、ミュージアムショップの、ポスターでも飾れということのようである。(→かけ蕎麦価格)

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