◆◆◆ 357 ★ タイからの知人と会う ◆◆◆

2005.5.7

S氏と最初に会ったのは、アタシが子供の頃である。

彼は父の友人である。

そうして、彼は、2ヶ月のアメリカ滞在を終え、タイに帰国する途中で、日本に2週間滞在する。

そういうときに、アタシの方が意思疎通ができるので、時々呼ばれて、秋葉原の買い物に出かけて、品物の商品説明とか、最近の新商品の今までになかった特徴について、教えてあげたり、更にはヨシツネの翻訳までするのである。

この前の回は、弁慶が坊主のクセに、女と契りを結んだりするので、仏教徒のSさんに説明するのは難しかったぜ。

そうして、坊主が武器を持って戦ったりするシーンなど、笑うしかない番組だったよなあ。

熱心な仏教徒に英訳するアタシの気持ちになってくれ。

あ゛ーっ、紙がもったいないぜ。

やっぱり、彼の知人で、Sさんという日本人の方が、後半の一週間、タイのSさんをホームステイさせてくださるといって、車で荷物ごと引取りに来る。(ウチの父は、来週から無謀の上海旅行に行くという理由で・・・・汗)

まず、タイのSさんと、日本のSさんの関係を説明する。

タイのSさんの子供が、ホームステイのホストであった、日本のSさん宅に泊まり、その後、交流が始まったという、全うな友人関係である。

日本のSさんは、「ウチの父と、タイのSさんはどんな関係なのか?」と聞いてきた。

酔っ払っていた父が、近くの研修所に宿泊していて、街をフラフラしていたSさんを強引に家に連れてきたというのは、どうも、知り合いになった理由としては可笑しいだろう?(本当)

当時、外国の人が千住界隈を歩いているのは珍しかった。

アジアからの研修者は何人かいて、近くのお高い電気店で、土産用(というか、自分用の)時計を買おうとしていたので、ウチの父は、見かねて、翌日(休みだったこともあり)秋葉原にミナサマをご案内したということがあったのだ。

そんでもって、日本語がペラペラだったSさんは、酒飲みでもあり、ウチの父と意気投合。

何年かに一度、タイや日本を行ったり来たりを繰り返し、現在に至っている。

Sさんの今回のお土産は、小型ラジオ。

秋葉原の店を物色する。

新品のラジオは、物凄く小さくて驚かされる。

そうして価格も、5000円以上。

あんまり安い品物は儲からないから、もう扱いから落としてしまうんだと思う。

安い品は、台湾製とか、中国製である。

10000円前後の品は、日本製のデジタルラジオ。

音も良い。

そんなこんなで、Sさんは、どうするのか悩みに悩む。

イロイロと流れているうちに、ラジオ会館の中の、レンタルボックスのお店に入り込む。

お店から、レンタルボックスを借りた人は、好きな品をそこで販売できる。

そうして、販売できたときには、手数料を支払って、品物を処分することができるみたいなのである。

最初の一ヶ月は1000円で借りられるんだよ。スゴイね。

お客様はひっきりなしに入ってきて、というよりは、レンタルボックスのオーナーが解約に来て時間が取られている感じだったけど、店はレンタル料で成り立っている感じ。

売れる品物を扱っているBOXは、勝手に売れて行く立地である。

ラジオのマニアってね、、、、、??

ウオークマンの初期型とかも展示されていて非売品。一体どんな構造なんだろう?

1000円の中古ラジオは中国製。

Sさんは、定価10000円近くが3000円の日本製ラジオに目をつける。

デジタル式でマニュアルがないと操作ができないのだが、マニュアルはついていない。

どうするのか悩んで、買わずに帰ってくる。

そんでもって、結局気になって仕方がなくて、アタシに買いに行くように電話をしてくるのであった。汗。

ま、20分位でいける場所なんで、アタシも、大役を引き受けた。

なんといっても、彼は、私たち夫婦がタイに行ったときに、3日間ガイドしてくれて、しかも、プーケット滞在の宿代まで持ってくれたのだ。

後で驚いたのだが、インドネシアの3倍はする値段の宿である。・・・・。お金持ちなの?

(注:Sさんは、タイのお金持ちですが、お金を使うときには、熟考するタイプということです。)

Sさん、タイには3軒の家をお持ちで、どれも豪邸のドーベルマン付き。

屋根をぶち破って、泥棒に二回も入られた話をされる。汗。

Sさんの奥さんは、ベジタリアンになってしまい、今は、食事も別々なのだそうだ。

人生にはイロイロなことがある。

Sさん本人は、ブタアレルギーで、牛肉ばかりを食べる。ハイコストだぜ。

確かに、日本の鶏肉はマズイからなあ。

一番のお気に入りは、実家のスキヤキだったみたい。レストランに圧勝のママ料理。おめでとうっ。

タダで、東京観光をし、無料で我が家にホームステイ、しかも、次のSさんとは、名古屋地球博に2泊三日で行き、更に、温泉などにも行くらしい。

そうして、ナリタまで送ってもらえるのよ。

すげーっ。超ビップ待遇。

よく解らないのだが、家に泊まりあうような知人というのは、年を取ってからはできるものではない。

日本人同士はエンリョするしね。

どちらにしたって、嵐のような襲撃は、やっと去っていき、ペアレントハウスには平和が戻ったのだった。

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