◆◆◆ 351 ★ 油彩を描く ◆◆◆

2005.4.22

三岸さんの番組をもう一度見る。

なんて、キレイな人なんだろう。

テレビの肖像を見ながら、一枚ラフを描く。

オジャラよ、似ていないぜ。

いーのよ。似てると、肖像権の問題とか出てくるし、アタシは、アタシの女を描くの。キッパリ。

ふくよかで、太っていないお顔の中に、毅然とした眼差しが美しい。

画家として(困難な道を)生きると決めた、覚悟の伴った強い表情である。

そうして、どうして、あの写真のように、もっと、毅然とした美しさが描けないんだろうと、自分の稚拙さが全く、嫌になってくる。

どうしようもなく失敗した絵の上に、彼女の肖像画を一枚描く。

先ほどのスケッチは持ってゆかず、脳裏に残った彼女の肖像を思い浮かべて絵を描く。

やっぱり似ていない。

もう少し、デッサン力をつけないと、いつまでたっても、肖像画家にはなれないぜ。汗。

それでも、この絵は、彼女のことを忘れないために、身近に置いておこうと思う。

花の絵ばかり描いて、どこが悪いんだと思えてくる。

お客様が求めているのが、花の絵だけなのだから、お客様のご要望に合った絵を描くというのが、画家の正しい選択である。

どんなにバラの絵を描いたって、全く売れない人の方が多いのである。

アタシなどは、駆け出しで全くの無名画家だというのに、かろうじて売れているだけ、感謝するべきなのだ。

そうして、お金が出来て、やっと自由な時間が出来たら、自分の絵を描けばよい。

そうだろう。どんな仕事だって、嫌なコトからスタートするのが現実というものだ。

嫌な仕事を積み上げて、やっと自分の時代が来るのである。

その後、小さい作品を一枚作る。

あいも変わらない、バラの絵をである。

今回のは、よく描けた。(→もう一回、ボッテリと色を乗せ、あとで入魂の作業がある。)

15000円で売られるこの絵は、買う方にしてみると一番手ごろなのである。

遠方より、足を運んでくださり、一生懸命絵を見て下さり、(絵を買うのは初めてなので、)恐る恐る、やっとのことで、一枚買ってくださるのである。

有難いことである。

そうして、家に飾ってくださり、絵がとてもヨカッタと、私にメッセージを送ってくださるのである。

絵というものは、一生に何枚も買うものではない。

そういう中で、年中飾っていただいて、楽しんでいただける作品を作る仕事というのは、何て幸せなんだろうと思えてくる。

一旦仕上げた絵を仕立て直す。

額縁屋のオヤジに言われて、色を少し汚くしたけど、やっぱり気に入らない。

何十年も経てば、絵はどうせ薄汚れてくるのである。

私は、私の絵を描かなければならない。

バラの絵や、ひまわりの絵でさえも、私の絵だと感じられる、そういう絵になってきているのだ。

ゴッホの番組の最後に、ゴッホが語っていた。

「僕の絵にサインは要らない。何故なら、サインなど無くても、みんな、僕の絵だと解るから」

ホンモノの絵というのは、そういう絵でなければならない。

そういう絵が描けるかもしれない前兆があるのだから、アタシは、やっぱり、その道を進まなければならないのである。

→この厚塗りでは、ひび割れるに違いないぜ。

黒い絵の具を買うかどうか、まだ迷っている。

三岸さん風に一枚。

黒が足りないぜ。

彼女の絵の中の黒は力強く、画面を引き締め、絵、そのものが生き生きとしてくるのだ。

黒かぁ。

アタシの絵の具箱には、黒い絵の具がないんだよねぇ。

まあいいか。

同じ絵を描いても仕方ないし。

オジャラよ、これで終わりじゃないだろうね?

うーん。

三岸さんの花の絵は一枚しか見てないからなあ。この絵は、あっという間に描けるけど、(推定20分程度もしくは、もっと短い)絵の具が物凄く必要だということも理解できた。

彼女のリトグラフは、一枚375000円。

マジっすか?

一生買えないぜ。

しかも、この絵には、アタシらしさがない。

そうして、それが良いとか、悪いとかいうことではない。

一つの道を行くのか、絵を壊し続けるのか。

画家の岐路というのは、思いのほか多いと思わされる。

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