◆◆◆ 316 ★ 現代アートの話 ◆◆◆

2005.3.12

この前テレビで見た、前衛的ニューヨークのアーティスト

クリスト&ジャンクロード

最近、現代アートづいている。

現代アートは解りにくい。

そこがポイントである。

そうして、「作品そのものに、全く意味が無い」ことがコンセプトとなっていることに気づけば、理解は一気に進むのである。

しかし、人は、「全く意味が無いアート」を受け入れることができない。

人間は、必ず何らかの理由をつけて、事象を理解しようとする特徴があるのだ。

だから、理解できないと、それがストレスになり、一生懸命、自分が納得できる理由を探してしまうのである。

たはははは。笑えるぜ。

そうして、そういう人たちを笑って見るのが現代アートの作家ということのようだ。

この、一般ピープルが持っている、普通の感覚と、作品が発する、「アートと思えない品物」とのズレ。この、ズレに価値がある。

このズレに金を払う人がいるということである。

この前テレビで紹介されていた、彼らの作品のスケールは物凄い。

どのくらいすごいのかといえば、想像力を超えた発想である。

どんな作品かといえば、

建物や橋を包んだり、島の周囲に布を張り巡らしたり、谷にカーテンを付けたりするというような、スケールである。

そのスケールにマスコミは飛びついて、こぞってニュースで紹介するので、アナタもきっと、見たことがあると思う。

今回のテレビ番組では、彼らがどんなふうに金を集めたのかというのが一番興味深かった。

クリストは、物凄い速さで、このプロジェクト構想のドローイングを、あらゆる角度から、大量に描いて、それを販売して、金を集めるのである。

驚くぜ。

そうして、そのアートを買った人というのが、これらのプロジェクトの協賛者ということになる。

しかも、そのドローイングは、このユニークな発想に共感した人々に、飛ぶように売れるのだそうだ。

スゲー。

こうなると、巨大アートの実現のために、自分の作品能力を最大限に使っているということになる。

もともと、売れる絵を作れる能力があるのに、その収益を、更なるスケールのアートで消費してしまうのだ。大きいぜ。

左の作品は、コロラドで作られたヴァレーカーテンというアート。

大きな谷にカーテンをつけてみる。

そういう作品である。

それに、どんな意味があるのか?と聞く人殺到である。

そうして、クリストは、

「カンバスを絵の具で埋め尽くしたいという衝動に説明は要らない。そう感じたから、ただそれだけのこと。私たちのやっていることもそれと全く同じで、プロジェクトは説明すべき必要性も、正当化する理由も無い」

と語っている。

意味無いんだよ。

だからさー、誰が何回聞いても「意味はないんだよ」という同じ答えが返ってくるのよ。

この、○印が人間である。

聞く方は、何かと、理由を見つけたがる。

ここの「理由が無い」というのと、「理由を知りたい」という人間の関心のズレに、価値が存在する。そこが、現代アートの価値ということのようだ。(→勉強中です。理解が間違っているかもしれないので、読者さまは鵜呑みにしないように。)

この、ズレが大きければ大きいほど、その価値は大きくなり、そのズレに金を払う収集家がいるというふうに考えてもらえればいいと思う。

ヴァレーカーテンのことを知った人はどう思うだろう?

もし、それが隣町なら、見に行ってみよう、このカーテンの下を通ってみようと思うと思う。

そうして、通ったけど、どうだとか、全く理解できないとか、とにかく、自分以外の人にその話をして、なんとか、この芸術性を理解しようとするのである。

自らが発信人となり、周りの人と大議論になる。これが、作品の力ということだ。

存在する理由が無いことこそ、プロジェクトの持つ力であるともクリフトは話していた。

おもしれー。

存在する理由のない、ばかげたことをする。

そのばかげた話は、人を集め、人に、「これは何だ?」と思わせ、それが議論にまで発展し、作品の知名度が自然に上がってゆくという構造なのだ。

集客例としては、よく研究された、すごい設計だぜ。

今回の彼らのプロジェクトは、セントラルパークの遊歩道37キロメートルに、布のついたゲートを取り付けて、その中をみんなで歩くというアートである。

ゲートの高さは5メートルあり、本数は7500本余りあったらしい。

そうして、このアートを計画してから、地元の人や、市を説得し続け、その間に他のプロジェクトを実行し、26年たった先月、やっと実現したのだそうだ。

彼らは、自分たちの集めた金で人を600人雇い、専用のゲートを取り付けてもらう。

スタッフには一時間6.25ドル支払われるのだそうだ。

それは、ボランティアや寄付などの、全てのしがらみから開放された、自由な創作活動とするためなのだという。

ニューヨーカーは自由だぜ。

そうして、アートの世界というのは、本当に自由で良いのだということが理解できる。

そういう、自由な感性にこそ価値がある。

その価値に金を払う。

それが、ゲンダイアートの収集家なのである。

おおっ。

このゲートの中を歩くために、期間中400万人がセントラルパークに集まったのだそうだ。

そうして、ここを歩いた人は、「一生涯、この日のことは忘れない」

と話していた。

どんな絵であっても、こんなに強く、心に残ったり、作品の中を歩けたりはしない。

そうして、テレビで見ただけの、このゲートの映像は、アタシの脳裏にもずっと残るであろう。

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