◆◆◆ 315 ★ デュシャンによる ◆◆◆
2005.3.12 |
昨日は、銅版画のお教室で、便器の作品を二点作る。
せっかく、ショップで便器のポストカードを買ったのに、お教室へは忘れてしまう。 だから、記憶に頼り、適当に作る。 そうだ、それが正しいのである。 そうして、デュシャンがフランス人だということを忘れてしまい、J vs USなどと書いてしまう。 おおっ。 こっ、これは、見た人はナンだろうと考えるよなあ。 特に、デュシャンがフランス人だということを知っている人は、何故USなんだろうと思うに違いない。 意図して、意味の無い言葉を書き加えたと、日記には書いておこう。 |
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汚れた泉というタイトルの便器の銅版画。
これをブッダと名づけた、デュシャンのお友達は天才だぜ。 そうして、お教室の皆さまは、下の方にある、白いエンボスが気になって仕方なくて、みんなで版をひっくり返してみるのであった。 現代アートは、奥が深いのよ。 「こっ、この版には、どーして穴が開いているんですか?」 オジャラ「ああ、腐食しすぎて、ダメになっちゃった版の裏なんだよね。」 皆さん、考え過ぎですって。 特に、意味の無い作品を作るのが、現代アーティストとしての第一歩である。 |
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猫の版画は、結局刷らなかった。
ぼんやりしていると、何もかもを忘れてしまう。 銅版画のお教室は、また半年が過ぎていた。 あんまり進歩がないんだよねー。 センセイに、ドライポイントの指導をしていただく。 最初は、彫刻刀のような道具で彫っていたのだが、「太いニードルを使うように」などとご指導いただき、線は、飛躍的にガビガビになる。 山口ケースケのようにはまだ作れない。 ドライポイントのために、腕を鍛えようかと思ってしまう。 そうして、このときばかりは、女に生まれて損をしたと思わされるのである。 |
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アタシの版画ときたら、何枚作っても、安定して刷ることができなくて、つくづく版画家に向いていないということが解る。
この版は腐食が深くて、拭きあげる力加減で作品の濃淡が全く違ってしまうのだ。 もう少しワゴムの配置を工夫して、動きを表現したいよなあ。 そうして、ジャスパージョーンズという人の作品は、ゲンダイアート系なんだけど、何を作っても洗練されていると思わされて、あーいう人がゲージツ家と呼ばれるのだろうと思い知るのであった。 池田マスオもその類だよねー。 |
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