◆◆◆ 313 ★ とある市民ミュージアム改革フォーラムに参加する。-3 ◆◆◆

2005.3.11

このフォーラムで、一番参考になったのは、他の美術館や、動物園の皆様の発言だった。

東京都立建物館というところから来た人は、

閉鎖か、頑張って人を集めて、運営継続化という土壇場で、崖っぷちの戦いをしたのだそうだ。

その話は聞いてみたい。

もう一つ、大阪の美術館は、NPOに、寄付金の管理とか、グッズの製作・販売などをさせて、かなり収益が改善してきているのだそうだ。

財団法人ではダメなのだ。

NPO位に自由度があれば、柔軟に金を集めて、集まった金で、人を集められる展示ができるのである。

じゅんさんは、アタシを見ると「ああ、今日来たんだ。」などと少し驚いていた。

アタシの方は、「美術館を作るという夢があるからね」と答える。

そんでもって、じゅんさんは、

「あとりえを美術館にしちゃえば?」などと気軽に言い、

「アタシもそれは考えたことがあるが、当時は展示する品が無かったし、今は、作品が増えすぎて、絵を描く場所すらなくなった」

と話たら、爆笑していた。

笑えないぜ。

もう少し大きい作品を描きたいのよ。

そんなこんなで、フォーラムに参加したことで、イロイロなことが理解できてきた。

美術館の学芸員の人は、ビジネススクールにも通った方がいいと思う。

人に来てもらう展示を企画するというのは、ビジネス以外の何モノでもないからである。

お役所の人も、ビジネススクールに通って、もっと、町を活性化させたり、人を集めて、町が潤う企画をしたりするといいと思う。

色々な団体が、イベント期間を併せて、集客した人を町に回遊させて、商店街も活性化させられるような流れも作れるはずなのだ。

税収増は、会社が儲かってこそ、達成される。

学ぶべきは、どうすれば、【市民の願い】を実現できるのかを考えて、現状を改善する力である。

そういう発想が全く無いというのに驚かされる。

だいたい、足立区の「文化推進の条例案」に、芸術という文字を入れるかどうかだけでも大論争になって、何日も結論が出ないような会議なのである。

折り合う能力の無い人たちで話しているから時間がかかるのだ。

サラリーマン時代は、この筋の社内訓練というのに多数参加させられ、「自分の意見を通すだけでなく、適度に折り合いをつけて、決めた方向にみんなで進み、利益を生み出す」ための決断力や、折衝力を身につけてきた。

彼らにも、そういう訓練をさせないと、「文化・芸術」に関する条例の名前をどうするかという話で3年くらいたってしまうのである。

アタシは、「文化推進条例」に、芸術を入れるほうが良いと答えた。

センセイに、「それはどうしてか?」と聞かれたので「芸術に関心がある人と、文化に関心がある人には、少しズレがあって、タイトルに芸術を入れるほうが、より多くの人に、この条例を知ってもらうことができるから」と答えると、今度は、

「文化・芸術」がいいのか、「芸術文化」がいいのか、「文化芸術」がいいのかと聞いてきた。

アタシは、「その話はそんなに重要ではない。

芸術が入っている方が好ましいと思うだけだ」

と話すと、

「われわれが何日もかけて話したことを重要じゃないなんて」と、キーっとなり、更に、「文化芸術というのは、今まで世の中に存在しない言葉だから、使うべきではない」などと、学識をひけらかし、自分は正しいと一歩も譲らない。

でも、国が、文化芸術推進法なるのを何年か前にスタートしたときから、この言葉は世に存在するらしいのだ。

その前にはなかっただけなんだと思う。

だったら、・(ナカグロ)を入れればいいじゃないか。だいいち、その話に何ヶ月もかけて、なんで、税金で、あなたたちの会議なんかの金を払わなくちゃならないんだと、そっちの方にアタマに来る。

全くコスト感の無い人たちで、そのことに驚かされる。

だいたい、区民から意見を聞きたいと、区民を集めておいて、肝心の聞く側に、全く聞く気が無いのかよという感想を抱かれるのはマズいだろう?

アタシも、その程度では引き下がらないけどね。うふふ。

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