◆◆◆ 311 ★ とある市民ミュージアム改革フォーラムに参加する。-2 ◆◆◆

2005.3.11

別に、ここのやり方にケチをつけようというのではない。

アタシは、そこの自治体の市民でもなければ、このミュージアムに行ったことも無い。

行ったことも無い遠い駅で、さらに駅からバスで10分もかかる美術館など、よっぽど企画がよくなければ行ったりはしないのである。

美術館経営は、まず立地だということが理解できた。

彼らは、そんな悪立地に、人を呼びたいという趣旨で、改革をしているんだという。

今までは収蔵品とか、全国を巡回する展覧会の展示ということだが、この先、人をもっと集めるのだから、アタシは、当然に、市民にスペースを貸し出したりするのだと思っていた。

名前も【市民ミュージアム】なのである。

市民が利用できてこそ、ローカルの美術館の価値が高まるのである。

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町田市にある版画美術館は、常設展示するための美術館の他、市民が安価で使える展示スペースが2個、市民が創作活動できる、版画専用のアトリエなんかがあって、そういった人たちが足を運んでは、常設展示なんかもついでに見ているというムード。

あれはあれで、素晴らしいという気がアタシにはしたのである。

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埼玉近代美術館は、駅から至近で、広い公園を借景として、噴水や、巨大彫刻のある道を散策しながら美術館に辿り着いて、そうして、シャガールとか、ピカソとか、モネの絵なんかも展示してあって、市民の人たちが、自分の創作を発表するギャラリーもいくつも併設されていて、本当に、素晴らしい場所だなと、行く度に感激するのである。

もちろん、地域に根付いた作家先生の美術品収集にも力を入れていて、世界的名画と同じ常設の場所で、地域の有名作家先生の企画展も開かれていて、地道に、その作品を世に広めてきた。

企画展では、現代芸術作品の展示もあり、そういう時には、足を運ぶ。

アタシは、こういう館こそ、理想とする地域の美術館なのだと、いつも深い共感とともに、展示を拝見させていただいている。

そんなもんで、「一般の人に一部を有料で貸し出して、館内で販売も行えるような空間にしたらどうか?」という意見を出した。

そうしたら、学芸員のセンセイは、質問に関する答えではないが、その類で、「まさか、勘違いしていないでしょうが、この美術館は、あくまでも(学芸員が選んだ、価値ある)美術品を展示する場所です。(シロウトの展示などと一緒にはなりません。キッパリ)」というコメントを残された。

アタシには理解できた。

学芸員は、ローカルの美術館の目的や機能についての見識が浅いのだと。

専門誌や、文献などの文字による情報を集めて、その理解によって、館の収集活動及び展示活動をしているのだということだ。

シロウトの作品展示は、芸術作品ではないので、見当違い。という強い思い込みによるものだろう。

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渋谷区のショウトウ美術館などは、区民によるアーティストから、作品の公募をし、作品を買い上げる活動をしている。

地元の作家の中にも、この自治体の住民規模であれば、優れた人は必ずいるはずなのだ。

そういう人たちと、町の芸術を育ててゆこうというキモチは全く感じられなかった。

あくまでも、与えられた予算を消化するという活動に終始するということのようだった。

そんな人達が運営しているから、美術館の収支はよくならないのである。

よーするに、文字からしか、芸術を判断できないのである。

美術館の学芸員が、ニセ絵を高額で買い上げて、被害にあっている話を多数聞くけど、全くもって、ついてないと思わされる。

アタシも、進むべき道は、ハッキリと決まった。

足立区に文化・芸術を推進するための条例なるものができるし、金も出してくれるということだが、区営の美術館は、ダメという結論である。

役所と学芸員も仲が悪いし、それを良くしようとする、大学のセンセイともコンセンサスが取れていなかった。

それは、どこででも起きていることである。

大学のセンセイは、「考え方は、学芸員の方により、個々に違う。」

と話されていた。

自分の研究に熱心のあまり、市民の為の美術館であるということが置き去りにされているという結果につながっている。

そうして、区営もしくは、区が関わる財団法人では、結局同じような美術館が一つ増えて、税金のムダ使いと言われてしまうのがオチだということだ。

美術館は私設に限る。

私設もしくは、郷土の人が協力して作った、手作りのモノの方が、柔軟で、より愛される場所になれるということである。

そういった箱を、個人が創り、自治体に寄贈という流れも、現実的である。

大学のセンセイは、「「地域のアーティスト」をもっと盛り上げるような展示内容にして、市民に、そういう人の存在を広める場となるといい」

と話されていたが、当の学芸員の人は、「そういう美術館は目指していない」とキッパリと答えていた。

参加者の意見が食い違うのならまだしも、運営に関わる人たちの意見が、ここまで食い違っているのに、改革も何もあったものではない。

国立級の美術館や博物館であれば、一流どころだけを扱うというポリシーでもイイよーな気がするが、【市民ミュージアム】という名前なんだから、市民がもっと、利用できるような場所も付加する箱になることが好ましい。

アートに限らず、歌だって、文芸だって、発表したい人ばかりの世の中だ。

「金払ってでも、そういうところで発表したいという人」を集める方が、よっぽどカンタンに収益を改善できるとアタシには思えてくる。

そういう人たちは、地元で活動しているのだから、地元のお友達も沢山呼んでくれる。

せっかくそんな辺鄙で豪華な美術館に行ったのだから、ついでに企画展だって見てくれるし、コーヒーだって飲んでゆくはずなのだ。

まあいい。この程度の話で、改革だと言っている美術館の方が羨ましいと思わずにはいられなかった。

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