◆◆◆ 295 ★ 痕跡展を見る ◆◆◆

2005.2.24

ネットのお友達の、『じゅんさん』から頂いたチケットで、痕跡展を見に行く。

痕跡というコンセプトで、何かの痕跡を利用したアートを集めた展覧会である。

たとえばどんなアートがあったのがといえば、

タイヤ跡を長い紙に車を走らせながら印刷したり、

男の裸体の後姿を撮影し、等身大で青焼きに連続印刷した品とか、

割れたガラスとか、

紙を突き破った跡とか、そんなやつである。

前に紹介した、榎倉さんの油シミもあった。

彼の展覧会を見に行く手間が省けたぜ。

アタシ的に心が動いたのは、ジャスパージョーンズと、クラインという人の二人の作品だけである。

痕跡でありながら、芸術であった。

他の作品については、アタシにはまだ解らない。

じゅんさんなら、解る作品はもっと多かったんじゃないかと思う。

自腹で買いたいというのは無かったなあ。自分でも作れそうというのは結構あった。

現代アートというのは、『何故これが芸術なのか?』を、観客に考えさせるアートである。

俳句をやっている私には、とても受け入れやすい内容であった。

『意味不明な俳句。それは、何を意味しているのかを読み手が考える俳句』なのである。

芸術というのは、共通点が多い。

俳句もアートも、相互に理解が深まってゆき、とても効率が良いのである。

印象に残ったのは、小便をカンバスに振りかけて、絵の具との化学反応で尿素を黄変させた、ウォーホール(たぶん。間違っていたらゴメン。それくらい有名なヒト)の作品。

臭くなかったんだろうか?

大便じゃなくてよかったよ。

当然、同じ場所から出る白い液体の作品もあり、こちらも僅かながら黄変していた。

まだ見に行ってないけど、デュシャンも似たような作品を残しているのだと、説明に書かれていた。

確かに、痕跡には違いない。

追記、

今回の展覧会は、よく解らないながらも、理解できたことが一つあった。

それは、彼らは、作品を残したということである。

スゴイよなあ。何年も前の作品なのに、今更美術館の学芸員(たぶん、企画会社も混ざっているはず)がさ、探して、選んだわけでしょう。

そうして、それは、何を意味するのかといえば、図録を残していたということである。

痕跡とは、図録のことなのかと思わされる。

図録がなければ、学芸員が、その作品を探すことは不可能なのである。

可能性があるとすれば、業界紙に紹介されたという記事が残されていた場合も考えられる。

どちらにしたって、そういう記録を、企画に携わる人が見たということである。

私のサイトには、若いアーティストの方が沢山覗きに来ているので、一応書いておこうと思う。

作品は、展覧会だけではなくて、そういう人の目に触れる形ででも残してゆかなければならないということのようだ。

もう一つは、レイプ殺人事件を作者自身がモデルとなり、写真撮影を連続させた、残酷な記録。ようするに、痕跡なのだということのようだ。

アタシは一シーンしか見なかったが、衝撃的であることには違いない。

こういう衝撃というのはある意味卑怯だとアタシは思うのだが、世の中には、イロイロな人がいる。

彼とは友達になれそうにないが、そういう人がいるというのは否定しない。

どちらにしたって、あんなに沢山の展示物があったのに、オシッコとか、レイプの記録などの、品の無い話だけが強い記憶となって残っているのだから、人間の記憶能力というのは、この筋の話から逃れられないのだと思う。

とりあえず、そんなに混んでもおらず、常設展、特別展示までゆっくりと見れて楽しめた。自腹だったら逆上していたと思うが、頂もののチケットだったのでニコニコである。謎爆。今週の日曜日まで。

じゅんさん、ありがとうございました。堪能しました。