◆◆◆ 281 ★ 仏像を描く ◆◆◆

2005.2.4

今回のは、土産物ということに特化されていることもあり、資料を集めるのに金がかかるというコトが判明した。

デザインというのには金がかかるのだ。

そのほかに、モチーフを平面に展開して広げてゆく能力や、拡張高くラインを単調化させてゆく能力も求められる。

アタシの場合、平面に広げるというのは何となくできるのだが、拡張高く線を単調化してゆくという技術がまだ未熟である。

毎日奈良県の観光ガイドやら、お寺の展覧会の図録なんかを広げているので、イロイロと詳しくなる。

それでも、お寺の名前とか、祭りの名前は全く覚えられないで、

『カエルの祭り』とか、『東大寺の火祭り』などというように、勝手に名前をつけてしまうのだ。

独自の名前がつけられると、更に、正式な名前は覚えられなくなってしまう。

まあいいか。

ちょっと前に、知人の方にも指摘されたのだが、私の絵は、手足の練習が足らなくて、全体が稚拙な絵に見えてしまうのだ。

この絵だって、手と顔は失敗し、紙を上から貼って描き直している。

仏像の場合、指が三本とかいうワケに行かないよなあ。

仏像とか、この筋の絵というのは、指先に意味があることが多くて、それは全体を構成する重要なポイントなのだ。

まさか、仏像の模写をすることになるとはねえ。

前から、仏像を描いてみたいとは思っていた。

別に信心深いというコトもないが、時の巨匠の作った優れた彫刻だと思えば、何時間でも見ることができる。

仏像の彫刻のレベルというのは本当に高い場所にあり、東大寺や正倉院の図録を眺めては驚かされるのである。

指先の練習をしないと、絵がダメなままということのようだ。

顔くらいに安定して手の表現がかけるようになると、仏像をてぬぐいのデザインに展開するのは、ぐっと短時間でできるようになる。

てぬぐいのデザインというが、これは、木版画の下絵にも使えるのよ。線の太さなんかが、物凄く近いのだ。

よーく見ると、特徴のある仏像というのは実に多くて、特に、後ろのピカピカと光る部分のデザインにより、個性があったりもする。

棟方志功は、こういうのを見て、そんでもって、更に自分の世界に昇華させたんだからスゴイよなあ。

ハダカだしなあ。

こういう、模写(といっても、あんまり似てないんだけど)の他にも、創作の菩薩とかも描いてみよう。

てぬぐいサイズの紙というのは、結構大きいので驚く。

今までA4程度の紙に描くというのが主流だったのだが、そんな紙に描いていると、いつまで経っても絵が上手くならないというのは理解できた。

長い線、緩やかにカーブした線、細かい部分の色塗りなど、大きい紙に描くというのは、なんと素晴らしいことなのだろうか?

そうして、こんなに大量に絵を描くアタシだが、これらの紙は、全部印刷屋のオヤジから無料で頂いた品だと思うと、本当に恵まれていると思わされる。

作品としてはさ、ダンボールの裏なワケで、鑑賞には耐えられないんだけどね。

在庫が無くなるまでは、ダンボールを利用することにする。もう少し線が安定してきたら、もっとマシな紙に描いてもいいんだけどね。たははは。

カエルの祭り。後ろに見えるのは山。

山の名前も覚えられないのよ。

この絵の元になった写真は、物凄く古い写真で、今は、こういう神輿じゃないと思うんだけどね。

なんだか、こちらの方が、カエルがウレシそうだったので、こちらを採用。

神輿を担いでいる人の顔に、もうちょっと個性を入れたいよなあ。

てぬぐいであっても、アタシが描いたというのが解るような作品を作りたい。

まだ、そこまでの力が無いというコトである。

この他、百合を奉納する舞いを踊る巫女さんとか、室生寺の仏様、コスプレ行列(→名前が覚えられないのよ)など、奈良にはイロイロなイベントがあり、それなりに絵になりそう。

埴輪もまだ描いてないし。

埴輪の絵は楽しみ。

この筋の絵で重要なのはね全体の濃淡である。

黒い部分が多いと、色の部分が多くなり、てぬぐいが高そうに見えるのよ。たはは。

アタシが持っている版画の本などで、濃淡の取り方を意識しながら、新たなる絵をまた描くということである。

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