◆◆◆ 253 ★ スリーパー ◆◆◆

2004.12.25

オットが勤めるようになり、テレビを見る時間ができて、美術系のテレビを録画して見るようになる。(→DVDの録画方法をマスターしたというのが、より正しい。)

この前見たのは、『スリーパー』と呼ばれる画商の話。

イギリス、ボンドストリートにある画商の男は、埋もれた名画を見つけ出し、修復して世に戻す名人だという話である。

この物語は、彼が見つけた名画の中でも特に有名な数点の発見ストーリーを通して、スリーパーの仕事、絵に対する情熱、肖像画に対するヨーロッパの関心の高さの理由などを伝えてくれて、素晴らしい出来だった。

ハイビジョンだったので、ダビングが出来ないのが唯一の難である。RAMに録画しておくんだったぜ。

画商の男は、既に200点もの埋もれていた名画を発掘し、一部はあるべき場所(美術館、国会議事堂、王家の肖像の間、貴族の家族の肖像のある部屋など)に(売り)戻したのだという。

それを、どうやって見つけるのかという部分は、特に興味深かった。

彼のターゲットは肖像画に限られており、それが、印刷物やネット上の画像であっても、ホンモノかどうかが見分けられるということである。

そこが鑑識眼だ。

その鑑識眼というのは、誰もが持てるものではなく、情報の蓄積と経験、そうして、直感やプロとしての勘などを働かせて培われるものらしい。

売りに出される絵はボロボロに痛んでいたり、シロウトが加筆したりして、一部が全く違うタッチになっていることが多い。しかも、公式に記録されている絵のサイズと異なっていたりもする。その謎や問題を一つずつ解いて、ホンモノかどうかの確証資料を揃え、最後にそれを落札して、実物かどうかに賭けるというのがスリーパーの仕事ということになる。

おおっ。

アタシも、銅版画は自分でつくるから、ネットの画像で、それがフラッシュが当たっていて、たいして写りがよくない作品であっても、その作品が優れているかどうか解る。

銅版画をネットで買って、それがニセだったことは一度も無い。

経験というのは、そういうものだと思う。逆に、確信の無い作品には手を出さないということでもある。存在する写真や、その作品の完成度、自分の知識を総合し、ホンモノだという勝算があり、値段が安い場合、勝負に出る。

高く買ったのでは、商売として儲けることができない。

ようするに、スリーパーとは、二束三文で買った損傷した美術品が、実は有名画家の描いた本物で、歴史的資料からそれをホンモノだと実証することにより、それが何億にも化けて、見つけた人が儲かるという仕事である。

こういう仕事が存在するということをもっと早くに知っていたら、アタシもこっちに流れたかもしれないよなあ。(勝負系)

たとえば、200万円で売りに出されていた肖像画が、実は有名画家による作品で、名画だったことが確認できたため、オークションで114億で落札されたとか、そういう話である。

彼の成功のポイントは、『肖像画、特に決まった画家の作品に限定して発掘をしている』

ということであった。

よーするに、『間口を広げないこと』

なのだそうだ。

ある特定の優れた肖像画家の作品だけを狙い撃ちしているということである。

オジャラは、イギリスの肖像画のポジションについてはよく知らなかったが、『自分の人と成り』を後世に残すために、肖像画を描いてもらうというのが、長い間、大流行だったのだそうだ。

そんなもんで、教科書なんかに、有名人の肖像画というのが大量に残っているのである。

日本の場合、特に有名な人だけが肖像画を描かせる。もしくは、肖像画が残っている人だけが有名になるみたいな感じで、肖像画の存在というのは、歴史に名を残す上で重要だというのが解る。

一発画商曰く、『風景であれば、写真のように描けばいい。花でも、静物でも、作家が実物とは違う変更を勝手に加えて作品に仕立て直すことも出来る。でも、肖像画は、本人と画家の対話があって、初めて完成する』のだそうだ。

であるからして、政治家であれば、最初のスケッチよりも、本番は、威厳あり、風格もガッチリと描きこむ。

優しい母であれば、清楚で暖かい表情。

王家の子息であれば、品の良さや装身具の美しさなどを、実物に追加して表現しなければならないということのようだった。

まあいい、日本には、どのタイプの人もそう多くない。

レンブラントは、昔は、ある程度、依頼主の注文に応じて、実物以上の、理想化された肖像画を作っていたが、あるときに嫌になり、その人の傲慢さや、品の無さなども絵に描くようになったため、誰からも注文がこなくなり、貧乏のウチにのたれ死んだと何かに描かれていた。

マティスや、ピカソなども、頼まれて知人の肖像画というのを描いていたらしい。

自分の肖像画であれば、金を払っても残したいという金持ちが多いということのようである。

モディリアーニときたら、本人に似すぎて、嫌な部分まで絵にしてしまうので、依頼者が買い取ってくれなかったという話まである。

どちらにしたって、肖像画というのは、イギリスにとって、肖像という以上の価値があり、そういったものを所有したり、後世に残したりという理解が国民の間にあるということに間違いは無い。

その番組のオチは、結局、安く仕入れたホンモノを、ホンモノだという証拠(鑑定書類)をつけて、修復して、高く売り儲けている人がいる。

という話であるが、その仕事は、シャーロックホームズのようだということで、彼はアート界のシャーロックホームズなどと呼ばれているのである。

しかし、それがイギリスで可能なのには理由がある。王宮や貴族の家には、代々の美術品の目録などが残されていて、王宮画家の作品も、国営の美術図書館などが保管し、未だに管理され、自由に閲覧できるという環境が整っているからだ。

日本というのは、美術品を記録するという行為を軽く考えている。もしくは、そのためのコストがかかりすぎて、実現できないでいる場合が多い。

だから、確証の無いまま、ホンモノだと言われて、代々のお宝としてニセ絵が大切にされたりもしてしまうのである。

どちらにしても、埋もれたお宝を探して、元(あるべき場所)に戻すという作業は、番組のネタとしては悪くない。

彼の画商には、飛び込み客とか、冷やかしの客というのはほとんどいなくて、HPや新発見のメディア記事を見て、アポを取って、作品を買いに来る人、もしくは、名画らしい作品を売りに来る人のどちらかしかいないのだそうだ。

画商というのは、それでいいんだと思う。

アポを取ってくるというのは、ゆっくりと話ができて、絵の歴史や、何故ホンモノなのかを説明してもらうことができるからである。

オジャラは、本音の所、人物にしか興味がない。

薔薇や抽象など、別に描きたいとも思わない。

それでも、絵の具を買うために、そういう絵を作り、それも売って現金にして、前に進まなければならないということである。日本では人物は美人画しか売れないらしい。

西田さんがウチに来た時、『どんな絵を描きたいんや?』と聞かれたときも、

『人物しか描きたくないのよ。日本では人物は売れないから、だから、外国で勝負することになると思う』とキッパリ答えたら、人物をほとんど描かない西田さんは固まっていた。

人物の絵というのは、全く難しくて、売れる気がしない。

しかし、描かないということはもっと難しい。

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