◆◆◆ 235 ★ ガラス絵を作る ◆◆◆

2004.11.28

ガラス絵は、まだ、習作という段階。

描くのは描けるけど、完成度がイマイチ。

あっちこっち、至らないところを直しながら、それでもいくつかは完成する。

個展といっても、来る人もなく、それは、北千住だからとか、銀座だからというのはあまり関係ない。

アタシが行った多数の画廊の展覧会は、平日ということもあるかもしれないけど、客はアタシ一人だけというコトがほとんどである。

それは、何を意味しているのかといえば、立地の要因というのは僅かだということである。

もしあるのだとすれば、画廊の格ということであろう。レンタル画廊などで開いても、たいして人は来ないということである。

池田満寿夫も、本に書いていた。

画廊で展覧会をやる場合、来る人は多くても数百人なのだそうだ。それは、格のあるがろうであってもというこだ。

そうして、人は来ても全く売れないこともあるらしい。現実というのは、そんなもんである。

アタシのところに来る人は、ほとんどがHPを見た上で、絵を見に来る、もしくは、イイのがあると買おうと思ってきてくださるので、効率がいい。

ガラス絵は、額に入れられたりもする。

さすがに売れ残りの額なので、イマイチパっとしない。

オジャラよ。先に額の色を見てから、作品を作るべきだったんじゃないのかよ。

みたいな。

それでも木枠とか、メタリック系の額よりも、絵にマッチしていて、ガラス絵と陶器額の相性のよさというのが伺える。

そうだよなあ。もう少し、額の色を考慮して、色作りをするべきだったよ。

今度からそうするわ。天使ちゃん、ゴメン。

昨日のおどろおどろしい天使の絵は、やっと少しだけ、天使らしくなり、額に入れたりもされる。

うーむ。おどろおどろしいことには間違いがない。

そうして、自分の絵を見るにつけ、もう少し、美人に描けないのかとか、色使いを明るくしようとか、文字が下手だとか、そういうことを見たり、加筆の色使いについて考えたりするのに役に立っている。

シルバーのマーカーが紛失してしまい、気が狂いそう。

芸術とアート雑貨の差というのは奥深い。

自分の作品を、自分で芸術と呼んではいけない。最近、そのことには気づいてきた。

芸術かどうかは、作家以外の人が判断するものらしい。

主に、画商とか、収集家や、評論家という人たちが決めるということのようだ。

なるほー。

モチロン、自分で気づくことも大事だが、やっぱ、人の評価という方が、説得力があるということのようだ。

まあ、どっちでも構わない。

今回の個展は前回よりも、かなり多めに売れている。

個展は終盤あと3日あり、その他にも、ボチボチ、人が訪ねてくださるというアポが入っている。

絵の方は、完成度の出来不出来が大きくて、積極的に、『是非是非来てくれ』というような展覧会でもないのだが、自分の絵を見つめ、ここをこうしよう。この線をもっと、こう描けるようになりたい。みたいな作品を見つめる時間となり、自分にとって、この時間こそが必要だったのだと思わされる。

強面の天使も、少し微笑んだ。

メタリックブルーのギラギラは、アタシの青春時代を思い出す。(落書き全盛)

『Your Own Way』

と書かれたこの絵は、少し気の強い天使。

何かを成し遂げようと思えば、簡単には諦めない強い意志も必要である。

この作品は、木製の額に入れられている。

カットを失敗して、小さくなったガラスに描いたため、小さい額に入れてみたというだけの話である。

もう少し、持っていて嬉しくなるような表情や構図、背景を研究しようと思う。

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