◆◆◆ 219 ★ 油絵の仕上げ ◆◆◆

2004.10.29

抽象っぽい絵も、どんどんと出来上がってくる。

絵の完成というのは、その日のムードや、個展の日程に支配されているというのが理解できて来る。

絵は概ね、どんな場合でも、ある程度、見れる常態を配慮しながら作られる。

そんなもんで、あとは、どこまで加筆するのかという話になる。

とりあえず、こんなところで、一旦サインを入れて完成にしよう。

みたいなムード。

理由は、乾燥するまでに何日も必要なので、仕上げに持ち込める作品から、どんどんと完成させてしまわないと、中途の品と棚の中でごっちゃになり、スムーズな制作活動ができなくなってしまうのだ。

ビジネスというのは『とりあえず、ひと仕事終えて、請求書を発行する』という作業を繰り返すのだが、絵画制作も同じようなものである。

『とりあえず一旦完成させて、売りに出してみる』

なるほーっ。

今回は、前回の薔薇と人物、猫に加えて、抽象画や、ピカソ風とか、モディリアーニ風の人物が加わってきた。

まあ、絵を買う人はまだウチのあとりえには来ないので、買わない人が見に来るという前提であるのなら、悪くない展覧会になると思う。

見た時に、笑いが取れたり、心が和らぐようなアートも、いくつも出来てきているからである。

前回の作品は、本当にひどかったよなあ。

それでも、前回、個展を開いて、足を運んで下さった方がいて、そういう方にイロイロな感想や助言を頂いたから、今回の作品があるんだと思う。

ご好意で絵を買ってくださる方もいらっしゃった。

売られた作品は、限られた愚作のなかで、かろうじて鑑賞に耐えられる作品であり、売れた作品と売れなかった作品の比較検討は、私の作品作りの指標となっていった。

私は我流だし、見に行く展覧会の多くは巨匠の名画であるため、値段などはあまり参考にならないし、そういう大量展示の展覧会の場合、(特に海外から借り出している展覧会には)いい作品30%と悪い作品70%みたいな、抱き合わせ借り入れの部分も少なくないということに気づき始めている。

それでも、見ないよりは見た方がずっとよくて、篭りきりを回避するためにも、週に一度程度の割合で、外を歩くよう心がけているのである。

画家の生活というのは、『絵さえ描けていればイイ』のである。

朝、掃除や洗濯の家事を最低限した私は、あとりえに出かけ、夕方まで絵を描く。

その間、誰とも話さず、誰も来ない。

私は、ずっと描き続けている。

夜になり、アトリエに鍵を閉め、八百屋とスーパーに買い物に出て一日が終わる。

そういう生活が幸せで、他には何も望まない。

望むとすれば、新しいカンバスや絵の具がまた買える程度の絵が売れます様にと願う程度で、服はもらいもので済まし(→どうせ汚れてしまうので)、化粧もせず、髪は自分で切るという生活である。

前回の個展で作成した絵のほとんどは手を入れられて、新しい作品になってしまった。

左の作品にしたって、本当にこの絵が描きたかったということではない。

ぼんやりしていると、絵はほとんど完成してしまっているというコトが多いのである。

まあいいか。この絵は、この絵で、どうせ売れないのだが、見に来た人は、へぇー。と思うと思う。

『この絵の何処がいいのか解らない。』というように首をかしげ、モヤモヤとしたまま、あとりえを去ってゆくことになる。『モヤモヤ』お持ち帰りである。

そんな展覧会は、あまり多くない。

とある芸術家に言わせると、アタシの作品は、『全く考えの足りない』絵なのだそうだ。確かに、考える前に完成しているから、仕方が無い。

ピカソの絵であれば売れて、アタシの絵だから売れないというのは全く驚くべき話で、それは何を意味しているのかといえば、『ピカソ』の絵だから欲しいという人がいるからに他ならない。

ムラカミタカシにしたって、あのエンビのフィギアに何千万もの価値があるはずがないのだから、そんな値段で買う方がおかしいというのが一般的な考えである。

でも、よーく考えてみれば、アノ程度の作品を『何千万円』で買ったという人がいたというコトがスゴイのである。

日本の伝統工芸だって、茶道や華道、建築、民具に取り入れられることによって成長してきた。

優れた作品であれば、高くても買うという経済力もあった。

そういう、工芸品作家の生活を支える根底となったのは、優れた品であれば、高くても買い、人や才能を育てる地盤があったということだと思う。

それは今でも全く同じなのである。

私の個展は、手作りで、お金がかかっていない。

理由は、今の段階ではお金をかけても絵が売れるとは限らないので、持ち出した分、画材を買う費用が減ってしまって、制作を継続できる期間が短くなるということに等しいというのが理解できているからである。

画廊など、もっと利便性のいい場所で個展を開いた場合、絵が大量に売れたとしたって、まだ安いので、赤字になってしまう可能性すらある。

もしくは、今と同じギャラをアタシが手にしようとしたら、画廊の取り分が今の値段に上乗せされてしまうので、買う人の負担が多くなるということである。

儲からないのであれば、やらない。

それが商売道である。

私の絵のレベルでは、勝算の手ごたえはまだ無い。

しかしながら、地元での知名度が上がるのには時間がかかるのである。

あとりえで個展を開く程度でも、近所では十分に話題になるので、金がかけないで、出来ることを少しずつやっていこうという計画だ。

八百屋さんも、猫缶屋の女将も、一生懸命に応援してくださるので、私も、ポスターを貼らせていただいたり、絵を飾らせて頂いたりする。

それだけでも、物凄い宣伝になる。

彼女たちは、物凄く社交的で、おしゃべり好きだからである。

おじゃら画廊のHP

Established 1998 Rica's Bar WEB SITE & Since 2003 Atelier Ojara.

Copyright (C) All Rights Reserved by Rica Ojara.