しゃぼんだま あおいそら (ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆◆◆ 3017 ★ ある作家さん-6 ◆◆◆

2017.5.24.

引っ越しの作業中に、その人の、昔のポストカードが出てきた。
からだろうね。その人とのやりとりを思い出した。

彼の心の闇や、孤独について、ある種の同情すら感じる。
サインが不必要に大きいというのは、その恥ずかしさを、教えてくれる人がいないという孤独である。

絵というのは、絵を見て、どの人の絵か、識別できるけど、サインを見て、確認する。
というのが画家の絵である。

ダリのサインなんて、絵のどこにサインがあるのかを、何分も探さなければならないほど小さい。笑。(本当)

少し見て歩けば、そういう話を、誰かの押し付けでなく、自分で受け入れることができるんだけどね。

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それに、罵倒の仕方も品が無かった。笑。
品性というのは、文に出る。

アタシは、どんなに下手糞なイラストだって、絵だったとしても、必ず褒めてあげる。(助言をするのは、ここを改善すればもっと伸びる余地のある人にだけである。)

絵を描く時間は、その人にとって、幸せな時間であるはずだし、絵を見せたり、飾ってもらったりすることは、描いた者の人生を有意義にする。そういった楽しみのための時間が、その人の人生に持てたことに対する賛美である。

下手くそな絵だとしても、幸せを感じる絵であるとか、一生懸命さを感じる絵というのもある。それは良い絵なのだ。とアタシは信じている。

絵が売れるとかいう話は、別な話である。

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たった一度だけ、何分か(チャットで)話しただけだけど、あんなに心が荒れている(勝手に罵倒しはじめて、こちらの返信を待たずにブロック)という精神状態については、こちらの非礼を詫びる隙もなく、残念だ。

油彩の早書きのテクニックというのは、誰も教えてはくれない。
名画という名画を見て、技法を盗むしかない。

美術館で展示されているクラスの作家さんは、全員早書きで、独自性も伴う(ことが多い)。

画業というのは孤独である。
光がこんなに当たった人でも、心がすさんでしまうのだということが学べたことは、有意義であった。

別に、心がすさんでいても、作品が残れば、それが画家としての成功なんだろうと、ぼんやりと思いながら、雨の一日が始まる。

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