しゃぼんだま あおいそら (ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆◆◆ 2964 ★ 日本画の話。 ◆◆◆

2017.4.24.

日本画の話。

アタシは、長らく、日本画を作りたいと思ってきた。
けれども、まあ、ずっとチャンスがなかった。正確な表現をすれば、材料にお金がかかりすぎるし、工程が面倒そうで、自力での習得はムリだと感じていたこともあったからだ。

ぶっちゃけ、見てもいいと思わない絵ばかりで。笑。


それは、アタシの審美眼が幼かったからなんだけれども。
絵を買っている人が良いという品を、絵を作っている自分が良いと思わないというのは、そこに、感覚のズレがあるわけで。

このズレというか、溝を埋めなければ、売れる絵にはならない。
という理由から、良いと思わない絵を、ずいぶんと見て歩いた。

けれども、良さは長い間理解することはできなかった。

転機が訪れたのは、ある夏のこと。雑誌の表紙のイラストの仕事が舞い込み、私にとっては結構なギャラだった。

日本画の学校に行くことも考えたが、高額だったため、断念。
代わりに、そのギャラで日本画の道具一式をそろえて、独学で、日本画の模索を始めたのである。

その後だよね。
日本画を見ても、ちゃんと、自分の中に入ってきて、見た絵の技量というのが、どれほどのものかということの理解が進んだ。

それは、自分の中では、画期的な躍進であり、
あとは、トントンと日本画の良さというものが、シッカリと理解出来るようになって来た。このことは、誠に喜ばしい。

安田靫彦先生の展覧会を拝見したこともあった。
絵の画題については、10年ぐらい考えてきたけど、
安田先生の、気品と知性に溢れた絵の世界に、私の心は鷲掴みにされた。


*********************


安田先生の言葉
古人(いにしえびと)の仕事を研究し
最高の芸術を理解するだけの力を養わなければ
自然に接しても 其の真に触れることができず
前人の踏まなかった道を拓(ひら)いていくこともできぬ。


最も遠く古くして もっとも近代に触れる感情
約二千年を貫く日本精神

そういうものが表現の基調に置かれなければならない。
*********************
先生。言葉が重いです。(*゜▽゜*)ノ
精進致します。

*********************
以下、また私感です。


西洋の芸術が「情動」であるとすれば、
日本画の表現は、「静やかなる(物の中に秘められた情動的な)動き」ということになる。

ルーベンスの絵が大量に来ていた時に、どの絵も素晴らしかったのに、結局見るのに飽きている自分に気づいたことがあった。

日本画(名画)を見る時には、本当によく見て、その、「静やかさ」であるとか、「この絵の芸術性=凝縮された瞬間(感情)表現」というものを、感じ取らなければならない。

絵を感じ取る。
そういう雰囲気。

私が俳句を始め、少し作れるようになって来た時に、
俳句の「直接的な表現を避け、短い言葉で、今の感情を表現する」
という本質について学んだ。

そうして、それ(直接的な表現を避け感情を表現するということ)は、絵画、否、あらゆる芸術表現にも通じる、「芸」という範疇の本質なのだと気づいたことがあった。

自分の作品には、まだ、そういった、静やかなる感情や、品格などは手に入れられてないけれども。

まず、目指すべき場所が理解できたことは、大きな第一歩であると思う。

 

1998- Rica's Bar WEB SITE & Since 2003- Atelier Ojara.

Copyright (C) All Rights Reserved by Rica Ojara Manzana.

おじゃら りんご official website

-------