しゃぼんだま あおいそら (ブログ by 芸術家 おじゃら りんご)

◆◆◆ 2573 ★ ミレーの晩鐘 ◆◆◆

2016.7.8

ミレーの晩鐘。

夜を告げる、教会の鐘。

その鐘の音を聞き、手を合わせる農民。

それは、自然に対してではなく、神に対しての祈りである。

教会や、神々の肖像を廃した宗教画である。

(とテレビで流れていた)

なるほどねー。

誰に対する、何の祈りなのか。

そこは、西洋の宗教画という意味では、「神様(キリスト様)に」であろう。

これが、日本となれば、自然にというふうに受け取られる。

(八百万神信仰が潜在的に根付いているからね。)

テロの被災地に立てば、被災した人にということになるし、

墓の前であれば、天国に召された人に。

ということになる。

祈りというのは深い。

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KK「祈りって意識のベクトルを具体化する手法だと思います…

他人と合わせれば大きな力になるし、自身に対してはモチベーションを高める事にもなるのかなって思います。...


心、意識、オカルティックに言うとアストラル体。

そういったものを一つの集合体として形にしたものが神や仏なのではないかと…

シュタイナーが入り口で、日本では中村天風先生や稲森和夫さんなどなど、かじってそんなふうに感じてます。

祈りは深いですね。

りんご 「意識のベクトルを具体化」ですね。晩鐘はどうかなー。バリ島に住んでいたときは、八百万の神という神にお供えを置いて歩くという習慣がある国でしたからね。あんなに神様がいなければ、自分の生活をもっと豊かにできるのにと思ったりもしましたしね。


KK「 日本くらいがちょうど良いですよね、暗闇に畏れを抱き妖怪や神を見いだしてキャラ作って語り継ぐみたいな(笑)

りんご「 晩鐘は違いますよね…


りんご「 日本人の宗教心は、東京に住んでると希薄と思うことも多いですが、ビジネスがらみの怪しいのも多数ありますしね。笑。大事なことは、関わる人が幸せかどうかですよ。イスラムや、ヒンス゛ーは、生活の中に宗教が一体化していますからね。私たちと同じ土壌で宗教の話をすることそのものがムリなんですよ。笑。正しさは、国や生活習慣によっても違うって話ですかね。その違いを否定しない。仲良くするのには、それしかないんです。


KK「 上手にまとめていただきました(笑)

友達にクリスチャンも居れば仏教の方もいるし…

突っ込んで語りづらいですが、みんな幸せになればいいのに。。。

許し合い認め合い受け入れあう、ができたらいいですねー

あ、また晩鐘から外れましたが(笑)

りんご「 信仰という根は本質的には一つなんですよ。(* ゜▽ ゜*)

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