◆◆◆ 2380 ★ 陶芸家 八木一夫 - 2 ◆◆◆
個人的な感想にはコメントの前に*印
2016.1.8. ここからおじゃらの感想。 ふぅ。 何度見たことか。 司馬さん、活舌が悪くて、ところどころ、間違って転記しているかもしれませんが、脈略は大筋合ってると思います。 八木先生から学んだことは、造形への挑戦ですね。 自由度が物凄いです。 用の美を切り捨てたという、その精神も凄いです。 最初にやったというのが、一番すごいですね。 |
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陶芸は、アタシも作りますけど、用の美を捨てるというのはね、しかも、神具でもないですしね。 まあ、常人ではない。 彫刻でもないですしね。 八木さんの作品は、アートフェアなんかで、たぶん、本物を見ています。何故本物かと思うのかといえば、他の追随を許さない造形だからです。 素人 が簡単に作れる内容ではない。 という現実を突き付けられ、目が離せなくなる。ということになります。 私が、そういった、技術面での鑑賞が出来るというだけでも、陶芸を習った価値がありました。 芸術家としてはともかく、鑑賞者、収集者、販売主であれば、一旦は、体験陶芸でもかまいませんから、習うべきだと思いますね。 そうすると、薄く引く素地であるとか、飛び出た突起などの造形が、どれほど、ちゃんと作れないのかという現実を突き付けられるからです。 |
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あ、感想でしたね。 司馬さんの解説もね、八木愛に満ちていて良かったですね。 教師を最後まで続けられたというのは少々驚きです。 前衛芸術への 理解というのは、今よりも、更に困難を極める時代であったと思います。 アタシも、バイトをしているのは、作品の販売を極力避け、好きな造形を作り進むという為であります。 そういった精神を、「絵が売れないくせに」と地元の人々(一部)に馬鹿にされ、罵倒され、嘲笑され、嫌がらせを受けています。本当に傷付きます。 応援してくださる方は、みんな、黙ってしまいました。 考えても仕方ありません。作品が世に出る日がくれば、応援者も、再び表 に出てくると思いますし、世に出る日が来ないのも、芸術家の常であります。 それは、作品の力が、世の中の求めているところに及ばなかったというだけで、自業自得ということになります。 アタシは、その 困難に挑むことに決めたわけですから、別段、風評や嫌がらせにに屈することはありません。 作品が良くならないことの方が、よっぽど辛いです。 |
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八木さんが、教師を辞めなかったというのは、現実的な部分を持ち合わせた人間だったというだけであります。 だから、創作を続けられたし、誰からも影響を受けず、自分の作品を作り続けることができた。 作り続けたから、作品も残った。ということになります。 作品を売ろうとすると、どうしても、絵が媚びてしまう。 それがね、絵を描いていて、嫌になるんですよね。 出来上がった絵を見てもね。 自由に描くと、自由度が高すぎ、見た者からの否定に合う。 そういうことの繰り返しですね。 現代芸術ですからね。 その、見る者が「良い」とするものから、どれだけ離れた表現ができるのか。 それがアタシの仕事なのだと、また決意できました。 八木先生。ありがとうございました。 経済状態が回復したら、陶芸も、またやりたいです。 |
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