◆◆◆ 2264 ★ ウルトラマン 成田享/彫刻家 ◆◆◆
個人的な感想にはコメントの前に*印
ウルトラマン 成田亨 彫刻家 1929−2002 2015年7月15日 9:41 ウルトラマンの父、彫刻家だったんだ。 「子どもが見るものだから、造形が中途半端ではいけない。」 アタシも(ウルトラマン的な造形の依頼が)来たら張り切るな。 なんといっても、名前を「りんご」に変えてから、 りんごちゃんに変身して、地球の平和を守らなきゃならないからね。 ヒーローは大変なの。 (という話は、みなさんにしています。ホントです)
−−−−−−−−−−−−− この三原則を守りつつ以下に作品を作り続けるのか。 意外性と抽象化 生物や物質、絵画なども組み合わせ意外なものを作り上げる。 (ヒラメ、サイフ、ガマグチ、コウモリ、エジプト壁画、鎧兜、貝殻などなど) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ガラモン 魚のコチ、口に特徴がある。 カネゴン ガマ口、妊娠中の奥様のボディ ケムール人 シンクロナイゼーション。(顔は横向き、体は正面といった 描き易い角度を組み合わせたエジプト絵画の技法) −−−−−−−−−−−−− 原点にして究極である。 誰もがどこかで見た要素がありながら、誰も見たことがない新しい形に仕立てあげる。 ベースにあるのは、彫刻家としての高い資質。 ウルトラマン 大きく美しい 40メートル、35000トン いくつもの試行錯誤のデザイン。 プラトンの言葉 「混沌」である「カオス」に対するものは「秩序」である「コスモス」 すなわち、「怪獣」 ⇔ 「正義」 は、カオスに対するコスモスというコンセプト。 プラトンからウルトラマンという流れがスゴイね。 ヒーローひ単純で美しいコスモスでなければならない。 1966年誕生。 くーっ。また1966年。 ウルトラマンのスーツアクター、古谷敏さん。 長身で細い。 顔が見えない役は嫌だと断るも、「君しかいない。顔は見えないけど主役だ」と 俳優さんを口説く。 ウルトラマンの中に入った実写を見て、あれが僕の彫刻なんだよ。 と成田さんの言葉。 *ウルトラマンが彫刻という新しい価値観。そうだよねー。 だからフィギアだって、あんなに高いんだよ。 そう思えば、フィギアコレクターは、彫刻のコレクターってことになる。 いろいろな価値がやっとつながってきて、辻褄が合ってきた。 アタシは、今まで、鉄人28号のオモチャが、自分の絵より高いことに対して ずっと疑問を持ってきたが、なんか、納得できた。 素材がソフビとかブリキというだけで、別段、彫刻作品の複製品と思えばね。 私は、長らくの心の閊えのようなものが取れて、少し嬉しかった。
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○怪獣デザイン三原則 (1) 動物をただ巨大化させるのではなく必ず独創性を入れる (2) 頭が二つ、手が4本など奇形化はしない (3) 体を傷つけたり、血を流させるなど不快なものにはしない −−−−−−−−−− 「不健康で不愉快なものを われわれはみなさんに 見て下さいといって テレビに放映する わけにはいきません。 そんなことをする人は 大人の資格がありません。」 |
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「ウルトラマンのほほ笑み」 かすかに笑っているよう ウルトラマンマスク 佐々木明作 「口はあるカイックスマイルといって ギリシア彫刻の中でも、もっともクラッシックな、シュットしたほほ笑み。」 弥勒菩薩像にも見られるほほ笑み。口元。 「本当に強い人間はね、戦う時、かすかに笑うと思うんですよ。」 ウルトラマン立像。 (FRP) 何かが足りない。カラータイマー。 成田亨がウルトラマンに込めた思い。 放映を経て、20年後に作られた立像。 成田亨の歩んだ、彫刻家とデザイナーという仕事の集大成。 昭和4年生まれ、生後すぐ、青森に移住。 生後8カ月で囲炉裏の炭を掴んでしまい、左手は、とうとう 不自由なままであった。 |
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洋画家 阿部合成 に学ぶ 画家を目指し、武蔵野美術学校へ。 彫刻科へ転科。 彫刻では食べられないので、円谷プロで4年間怪獣のデザインなどをする。 「この4年間、彫刻を作ることはできなかった」 |
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マンの立像 カラータイマーがない。 「カラータイマー、制限時間。時間の制限がなければ、強いウルトラマンがでてきたら、 勝ちということが決まってしまい、番組がハラハラしない。演出として、後にカラータイマーが つけられた。」 ウルトラマンの最終回。 ゼットンに敗れたウルトラマンは、光の国に帰って行った。 ウルトラマンセブン。 これを最後に円谷を去る。 −−−−−−−−−−−−− 翼をもった人間の化石 1971年 の彫刻。 英知を失い、滅びてしまった人類の化石。 奇をてらった作品を持て囃す美術界への失望から 成田はこれ以降、美術画壇への出品をとりやめた。 −−−−−−−−−−−−− 魂の清らかな人 (奥さんの談) −−−−−−−−−−−−−− 20年後、成田の仕事は、ウルトラマンを見た子どもたちが大人になって 再評価された。 そして、また、彫刻を作り始めた。 それが、マンの肖像。 −−−−−−−−−−−−−−− 嬉しいことは、私がデザインした怪獣を 子どもたちが喜んで、胸に抱いてあるいていることです。
怪獣の原画は青森県立美術館にて常設展示。 行ってみたいな。宗像志功の版画もあるし。 |
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