◆◆◆ 2245 ★ 鴨居玲展 東京ステーションギャラリー  ◆◆◆

個人的な感想にはコメントの前に*印

2015年6月25日

鴨居玲展 東京ステーションギャラリー

没後三十年展。

お姉さん下着デザイナー。

宮本三郎に師事。

哲学的な話を学ぶ。

何故絵を描くのか、何を描くのか、常に己に問いかけよ。宮本三郎。

*何を描くのかは、アタシもずっと考えている。

何故絵を描くのかは考えない。勝手に作品は増殖するからである。

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三十七歳でブラジルに渡る。


当時は日本とブラジル移民などとの美術交流が盛んだった。

赤い背景に、カウンチン帽の男などが、何かを乞うている。


*アタシ的には、物乞いに見えるけどな。食べ物とかを施してくれる人が

前にいるんだろうと思う。(施す人は描かれてはいない)

人間の本質的な、感動表現ではある。

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学芸の方「画家というのは、イロイロな作家に影響を受け、自分の絵が確立してくる。また、作品の方向性などが決まってくる。」

新天地スペインで掴んだ新たなモチーフ。

個展の話が出る。お姉さんの陽子さんが、誰かに頼んでくれた。

個展は大盛況。四十歳。遅咲きであった。

41歳で安井賞を受賞。画家として生計を立てられる目途が立った。


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*安井賞はなくなったらしい。(*°▽^*)

画家が増え過ぎて、絵の評価が難しくなったのと、応募が多過ぎて、審査員の不正(ワイロをもらうとか、自分の弟子を優遇など)なんかがでてきたからだろうと思う。

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人の姿を描くというよりは、ピエロや着ぐるみなどを人物に着せ、さまざまな感情をカンバスに描いてゆく。

表情が良く見えない。

悲しみ、痛み、苦痛、苦悩。そういう表現が、描かれている。


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人間のもっと深いところまでを描く。

一番の関心は人物にある。

最初のころは、動きや構図も凝っていたが、もう少し進むと、人物を中心に、ほとんど顔の陰影も見えないような画面になってくる。

自分を追い込んでゆく。破滅型の画家。

「興味があるのは人間だけ。自分とは何か。存在とは?」自画像につながってゆく。

作品の脇に、鏡に自分を映して、自分の表情をカンバスの塗りこめてゆく。

目玉を描いちゃうと、何かひとつの視点が定まってしまう。目が無いことによって

見る側が、イロイロな情景を想像する。それで、目をかかなかったんだと思う。

人物しか描かなかった鴨居は、教会のシリーズも繰り返し描いている。

四十代で、海外に出て、教会のもつ存在感が彼に絵をかかせたんだろう。


白いカンバスの前に座る鴨居。それまで、イロイロな人とかかわり、

や道化、ママさんなどを描く。

今自分が何を描けばいいのかと いう不安が表れている。これじゃないよ。

実際に、この頃にも絵は描き続 けていたが、人気もあったが、本人的には壁にぶつかって、

思うように描けない。という精神状態。

鴨居さんの中にある、絵の水準がかなり高かったため、それをクリアしないと、

自分が絵を描く意味がないと考え、絵が描けなくなった。

鴨居さんは、売り絵を描いていた。

描き始めるまでは時間がかかるが、描き始めると早い。

それを潔しとはしなかった。自分を追い詰める。若いころから自殺未遂を繰り返す。

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*結構絵がデカイんだね。

金払ってあの絵を見るのは嫌だなあ。

二十五年振りか。見ておくかな。。。。。。はぁ。

気が進まない。

五十四歳ごろから自画像が増える。

イケメンだけどな。

病んでるというのが正しい。心筋梗塞の発作がこの頃おきる。

ミスターエックスというのは、死の死者。

すぐに入院するように勧められたが投薬での治療で自宅に帰る。

真っ赤な背景に赤い服の道化。56歳。

描きたい絵がなかなか描けない。個展のために絵を描かなくちゃいけない。

描けば周りが褒めてくれる。

それが道化というモチーフになる。

描きたいものが何もない自分を描く。

鴨居は、暗い作品でも下塗りは赤を使う。

描きたいものはないんだけれども、これしか描けないというギリギリのところ。


五十七歳。顔を仮面にし、顔が離れているという自画像。

自分には何も残っていない。無に近い絵。

会場内は、集中して一点一点を静かに見ている。

*みんな同じ絵に見えるな。(*°▽^*)


やっぱ、行くのはやめることにする。

ぶらぶら美術博物館は、展示の絵を見せすぎるわね。あはは。


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自殺したときにあった赤い背景の男。

遺影用に作ったんだろうね。たぶんね。

しかも、途中でやめたんだろうね。

五十七歳で自殺。

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彼の絵に思うことは、教会の絵はいくつも描いているというけど、聖母子なんかは描かなかった。

多少なりとも禅や、他の宗教でも、宗教心なんかを持てば、心の平静を保てたと思う。

アタシは、信心深い方じゃないけど、外国で暮らしたため、宗教に対しての認識は随分と変わったと思う。爺さんが信心深い男だった。

横山大観先生の展覧会を見たときに、

「哲学的なものや、宗教的なものが分からないと、絵がよくならない」

と語られていた貼り紙の言葉をメモした。

私は、そのことがわかるまで、ずっとそのことを考えながら絵を見て歩いた。

それは、今でもそうである。

カウンセリングの学校で習ったことは、「宗教を信仰している人の心は強い」ということである。

持たない人は、心が不安定になったときに、その不安を鎮める方法がない。

日本人であるのに、外国で暮らしたというところもね。

ブラジル人だってスペイン人だってほとんどクリスチャンだろうに。

絵に対する不安という部分は、宮本三郎先生に学べなかったんだろうか?

彼の絵も、華やかに昇華するのは晩年だからね。

その前に死んだのかな。と思うと切ないね。

でもまあ、あの絵ばかり見せられるのもね。見る方も辛い。

私は、宮本三郎先生の絵を始めてみたときに、これが日本の洋画というものだと思った。

なんて美しい絵なんだろう。見た者を幸せにする絵である。

彼を師に持ったというのに、鴨居さんは、見るもの(観客)については学べなかったんだ。

と思うとかわいそうでならない。

三岸節子先生が本に書かれていた言葉。

「人生はなかなか困難至極なものなり-----休まることが無いのだ。私の運命は好んで困難な道を歩む。

勇気を奮って全努力を傾けなければ敗者たるをまぬがれない。

また一段も二段も仕事の上で階段を上らなければ私自身を失うことになりかねない。

誰一人、頼ることはできぬ。

私に賢明な助言を与えてくれる人はいない。

ただ、万有根心の力を振るい絞って仕事を精進することしか道はないのだ。

私が満足しているのは、好きな絵が出来たときだけである。」

画業とは、孤独な業である。

一人で最後まで責任をもたなければならない厳しい世界なのだ。

「私に賢明な助言を与えてくれる人はいない」

そこに気付けた彼女こそ賢明である。

そうして、その言葉に、早くに出会えた私も幸せである。

はぁ。今日はテレビ番組を見過ぎて疲れたわ。

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