◆◆◆ 2218 ★ 李 禹煥(リ・ウーファン、Lee U-Fan、???、1936年 - ) ◆◆◆

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2015.5月21日

李 禹煥(リ・ウーファン、Lee U-Fan、???、1936年 - ) 78才

2015年5月22日 23:18

直島 

李 禹煥(リ・ウーファン、Lee U-Fan、???、1936年 - )美術館

● 幼少は、書などを学びましたが、それは、人間の身だしなみ的な一般的な教育。まさか、自分が絵をやるとは思わなかった。

●1960年代、今まであったものを一旦壊して、もう一度考え直す。という運動が多く起こった。

たとえば、ガラスを割る。もの派という運動が起こったり。

石や紙、 石や綿などを組み合わせた作品などを発表。

モノ派を再考する展覧会でガラスを割るパフォーマンスを再現。

四十年以上をへた今も美術とは何かという李の問かけは、強いインパクトを持ち続けている。

●1970年代絵画に新たな可能性を見出す。

●点と線 非常に単純なコンセプト。何のイメージもない。

点とか線とかいうのは、誰にでもできるわけです。

唯一大切なのは呼吸です。体制を整えて、考えをまとめて、呼吸に従ってそれを行う。

非常に単純なことなんだけれども、意味があるとか、そういうことをはぶいてできる。とりあえず、出発する。

絵画の成り立ちがどうなるのかというのを試みる仕事。

彫刻では、ものを作り上げるというよりも、空間との成り立ち。

どういうものとものを関係させたり、何が見えてくるのか、どのような現象が起こるのか。

作ることと、作らないことの組み合わせ。そういう出会いの出発点である。

●李と安藤忠雄のコラボでできた美術館。

●安藤さんのことば

李は、美術家なんですけれども、美術館の手前に、コンクリートのポールを建てる。

四十センチぐらいの経の、二十メートルぐらいのポールである。

僕は、そんなのできないだろう。ほとんどね、あの場所で作ることは難しいとね、おもったんですけれども。

李は、ガンとしてダメだ、やるんだと。

作り上げてゆくプロセスのなかで、この人は大きいと思いました。

あれがなかったら、あの美術館、どうだったんだろうと。

あれがあることによって、僕の心に深く突き刺さってきます。

それは何かというと、リウーハンさんの、苦悩が私の中に伝わってきます。

苦悩の奥行の深さ、苦悩の深度が、リーウーファンを語っている。と思った。

何が一番重要なんだろうと考えた。

それは緊張感ですね。その人間が生きてきたプロセスが、全て緊張感に関わっている。

同時に、仕事にも緊張感がある。

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*安藤先生、ありがとうございました。緊張感。メモメモ

●長いあいだ、イロイロ仕事をやってきて、自分でやっている最も根源的な、大事な部分ってなんだろう。

ぼくはやっぱり、

対象物というか、存在を僕は超えたい。世界が輝くっていうか。何かこう、ホントに、いきいきと、あるいは、トキメクように、何かキラっと光るような、そういう感じにすることが大事かな。

海と山。

私は見た、海が山になり、山が海になるところを。



「立ち止まって」

木。木は立ち止まっているように見えて、

絶えず風を受けながら

揺れる幅の中で

世界を旅している。

0−0−0−0−0

木と石と鉄板が対話している。

*うーむ。( `・ω・) ウーム…文字だけ見ると、イカれてるな。(*゚▽゚*)

大丈夫です。アタシは理解できてます。キッパリ。

ある種のファンタジー、異業種コラボってことなのかしらね。

●美術評論家 建畠 誓(たてはたあきら)

これほど、大規模な、スケールの大きな仕事は、彼にとって初めてだったと思う。

しかもそれが、フランス庭園(ヴェルサイユ)という人工的な造形を活かしている。

彼は、今、鎌倉とパリを往復して生活している。ある意味で、彼はノマド。(遊牧民)

表現を自由にするためには、一つだけのポジションに拘束されないで、いつも自由な、いろんな文化に接触していく

というのが大事だと思う。

鉄板って、茶褐色になってますよね。威圧感があるというか。それが、並木の中で、とても美しい。

人工的なものと、われわれとの対話が、伸びやかに響いている。

それが、僕は一番感動した。

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李先生の言葉。

●この芝生のカーペット、三百数十メートルある。ここに、何かをしなきゃならない。

ある瞬間、風邪が吹いて草が波がでる瞬間を見た。それが、とてもイイ感じにうつった。

風による、風の波、風の羽みたいなイメージが浮かんだ。

向こうの池に通ずるような、長いカーペットの中で空間や

気持ちが揺れて、この長い道を風が流れてゆく。

心の漣みたいなのができると、見る人に、どんな印象を与えるだろうか。

僕自身、大変楽しみでした仕事です。

「余白」

たとえば鐘を打つ。鐘を打つ人、空間、聴く人が、ゴーンというのと同時に、鐘の音が波打って広がる。余韻が広がってゆく。

そういう広がる全部を余白といいます。そんなふうに、人の気持ちを揺り動かすような作品ができればどんなにいいだろうかというのが僕の姿勢です。。

リーウーファンの個展。

*うわ。作品、全部ユカのコンクリに書いてるんだ。壁は?

凄いな。うん。売らないのかな。(*゚▽゚*)

ヴェルサイユのアーチ。

●日本にいるときに、大きな虹がでていて、そういう作品を作りたいと二十年ぐらい前から思っていた。

この、ヴェルサイユの宮殿の前に立ったとき、ああ、ここにそういうものを作ったらどうか。

長いあいだ考えていたことが実現して大変嬉しいです。

*アートの虹。素晴らしい

●鎌倉のアトリエ。

アーティストがやれることは限られている。

パンをつくるのでもなく、武器をつくるのでもない。

何かしら、僕の作品に接して、ちょっと立ち止まって一服できれば、それでいいのかなと思っています。

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*この、風の羽という作品を見て思ったこと。

ホンの少しウエーブした金属が、人が通るたびに揺れる模様をかもしだす。

李先生が、このステンレスの鉄板の陰で座り、涼をとっていた。

そう、こんなに広い芝生の道に木陰や日陰はないのである。

日陰が少しあれば、人は、そこに集い、思い思いの時間を過ごせる。

昨日行ったバラ園は、ほとんど、日を遮るものがなく、三時半だったこともあり、

隅っこの日陰でスケッチ場所を探すのに苦労した。

たくさんの人が憩いに来ているのだから、多少の日陰をあらかじめ作るべきなのである。

たとえば、蔓バラのフェンスなどでも構わないのである。。いくつかはあったが、それは、日陰をつくり、

人々の憩う場所という目的とは違っていた。

バラは、日照が結構必要な植物だけどね、あの立地だと、日が当たりすぎて枯れるものもあると思う。

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