◆◆◆ 2201 ★ 田中 一村 ・ 清春芸術村 ・宗像志功記念館 ◆◆◆

個人的な感想にはコメントの前に*印

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2015年5月9日

田中 一村

明治四十一年生まれ  千葉出身

* 彼の絵は、千葉市美術館で展覧会を拝見したことがある。 伸びやかな筆致の日本画。 植物を大きく配置し、一部に背景(地元では神事などで重要な場所の風景) を入れ、絵や植物の意味するところを示す。明るい色彩が全体を支配し、葉や葉脈などのグラデュエーションや、光の当たる場所との陰影が素晴らしい。

彼の絵を見たら、誰だって画家になることを諦める。

■ パンツ一丁で、質素な生活。 昭和三十七年。染色工場で働く。日給四百五十円。ささやかな生活を営み絵の具代を稼ぐためである。

*先日、地方の方が訪ねてきたときに、東京は金がかかるという話になる。地方は家賃が安いからね。たいした稼ぎもないのに、都心で十何万もする家賃のマンションに住もうとするお嬢さんたちの顔を思い浮かべる。

まあいい。人生というのは人それぞれである。今も幸せであることが大切だ。私は、絵と出会うことができて幸せだと思う。

他の話は、とりあえず、優先順位の外におき、自分にとって必要なことだけを考えて生きればよいのである。

目指すものがない人というのは、優先順位をつけることができないからね。人生を導くのは、「問題を解決する能力」と、「どう解決するのかという優先順位づけ」の、二つのである。

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山梨 長坂町 自然に囲まれたアートスポット。

清春芸術村。

*あは、千住芸術村とは大分違うわね。

主となるアパートは、エッフェル塔で知られるエッフェルの設計。

世界各地から芸術家が訪れる。パリからやってきた、ウーハオさん

■安藤忠雄設計の「光の美術館」

天井からの最高のみの照明。

太陽光のスポットライトが当たる場所に絵が掛けてある。時間によって、当たる位置がある程度変化するんだろうね。

それはそれで、面白い。。。。

雨の日とかね、どうなんだろうね。ソーラーパネルとかつけたらいいのにね。もしくは、風力⇒ledとかね。

実験的、及び低予算。 話題にはなるだろうし、絵も痛まないかもね。痛むな。天日だもんね。加減が効かない。

展示の可能性があるのは、油彩かブロンズ像だけだね。あとは劣化すると思う。油彩だって、何十年もそのままであれば、ひび割れると思う。

いやまあ、いいんだけどね。あたしのコレクションを展示するのであれば、天日は絶対に当たらないように作るけど。

美術館だけあって、展示してある作品はいいね。

■教会 ルオーの作品(リトグラフ)と、小さいキリスト様のオブジェが架けられている。

*昨日見たルオーの作品よりイイワね。(*゚▽゚*)

同行者との会話

オジャラ「なんか、パンチないよね。」

同行者「そーねー、なにかしらね、やっぱ、道化師とか、宗教画じゃないからかしらね。」

オジャラ「気迫が迫ってこないっていうかね。」

パナソニックだからな、照明明るすぎるのかしらん(*゚▽゚*)

あたしたちは、いつも大量の展示を二人で見続けているため、物凄く眼が肥えてしまい、お楽しみの宴会タイムでは、いつもボロクソの感想会。あは。まあ、もっといいものを見てきちゃったから、その経験値との比較になってしまうからね。

それは、見続けたものの最大の不幸であり、もっと良いものに出会えたときの嬉しさも倍増する。

それも業なんだろうから、仕方ない。

美術品を見ないということはできないし、良いものを見れば、自分の絵を売って、

いつか手に入れよう。そういう気持ちでいつも見ている。

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青森 宗像志功記念館。

訪問者は、テルマエ・ロマエの作家さん

■ 眼病の宗像志功 眼を剥きて 猛然と彫(え)るよ 森羅万象  谷崎純一郎

志功「谷崎純一郎氏は、僕の仕事っぷりを、いいね『森羅万象』をエグるように、版画に生み出しているという歌にしていますけど。 猛然と彫るっていうねそういう仕事っぷりを谷崎氏が私に与えてくれた(表現してくれた)んです。外から見るとね、そう思えるかもしれません。私自身では、そう思ってないんですけど、自然と体が上がってくるというか、湧いてくる、溢れてくるっていうか。そういうふうに、なっていますね。」

二菩薩釈迦十代弟子

*昨日の宴会での会話。

おじゃら「宗像志功の版画って さ、浮世絵と随分違うよね。色ついてないしね。線も、ずっと太い。線と面が一体化しているっていうかさ」

同行者「そうかしらね。ルオーの絵と似てるって思うわ」

おぢゃら「まあ、似てはいないよね。線が太いっていう共通だけでね。でもまあ、顔だけの仏様とかね、ルオーの絵を志功が見たってことはあるかもね。当時の版画ってさ、浮世絵、おみくじみたいなもの木版刷りだったからね、神社が配布する仏像とかさ、色のついてない版画って、そんなのしか思い浮かばないよね。本は全部木版だったけど。」

同行者「あと、瓦版とかね。」

そう、私は、今まで気がつかなかったけど、志功のような版画表現というのは、昨今の版画展などでは見るけど、当時としては斬新だったのかもしれない。

*私は、宗像志功が、妻の稼ぎに支えられながら自らも納豆売りのバイトなどをし、絵を描くお金を作っていたという話を思い出す。

そう、お金の苦労をしない人には、生きるということの難しさが学べない。大切さも学べない。場合が多い。と思っている。

もちろん、若冲や光琳のような例外もあるけど、絵の根本を支えているものは、精神的な部分が大半である。テクニックや、絵の具の単価だけではないのだ。

■ 志功の肉筆画。

軽やかに墨を運ばせる、伸びやかな筆致。

私は、日本画の大家の絵というのも大量に見ているが、描画の方法は二つに別れる。

それは、下絵をトレースするのか、直接画面に描くのかという2種類だ。

直接、本画を描くという絵は、見れば判る。菱田春草の絵は、ウマいけど、絵が硬い。御舟しかり。

下絵のトレースを否定しているということではない。 ただ、前田青邨や、竹内栖鳳の絵などと並ぶとかわいそうだというのが素直な感想である。

絵には格というのがある。それは、絵の格のことである。

人間の格は関係がないというのが、今のところの研究成果である。



*夫ちゃんとの会話

夫ちゃん「この絵ってさ、松園や清方の絵と比較すると、ヘタだよね。」

おじゃら「一緒のものと考えてはだめ。別な絵なんだよ。」

夫ちゃん「そうなんだー」

おジャラ「美術館の展示室ではね、松園・清方の作品と、別な人の作品は、部屋が分かれてるんだよ。」

夫ちゃん「どうして?」

オジャラ「アナタだって、絵の違いに気づくでしょ。並んでると、みんなが気づくんだよね。離れてればね、そんなに気にならないからね。」

夫ちゃん「じゃあ、松園や清方だけ揃えればいいじゃん」

オジャラ「展示には予算っつーものがあるからね。有名作家の名画で客寄せして、あとは、抱き合わせとか、手持ちってことが普通なんだよ。」



というシビアな会話。

あたしの絵は、まだどの美術館にも、一枚も収蔵されていないわけだから、まずは、そこを目指す。

その前に、絵を良くする。

という優先順位ではある。どんな優先順位であっても、つけないよりはいい。目指すべき場所を間違えてはいけない。

ゴールを間違えると、優先順位の付け方が変わってくるからね。

私は、マーケティングを学んだことに感謝している。ゴールだけは間違えていないからである。

この記事に対するコメント

新さん 「『奄美を描く美術展』という奄美大島開催のコンペがあるんですが、入選してもなんのメリットもない様なこの会に、3年連続出したことがあります。

入選者は、奄美の田中一村記念館に作品が展示されます。それだけのために…?」

おじゃら 「 あは、新さんの植物の絵とか、結構影響受けてる感ありますよね。(*゚▽゚*) @一村。」


さる さん「 おじゃら「宗像志功の版画って さ、浮世絵と随分違うよね。色ついてないしね。線も、ずっと太い。線と面が一体化しているっていうかさ」  線と面が一体化 わぁ〜〜〜〜 たしかに〜〜〜(喜)

おじゃら 「さる様 志功先生は、アタシの最も敬愛する画家の一人であります。画集を開けば、今も心が震えます。」


さる さん「 眼を剥きて 猛然と彫(え)るよ 森羅万象   谷崎先生は 志功先生が 版すれすれに頭を寄せて、彫る様子が そう見えたということに、「自然と体が上がってくるというか、湧いてくる、溢れてくるっていうか。そういうふうに、なっていますね。」って答えていらっしゃるところが、なんかとってもいいですね〜〜〜〜! おじゃら先生も そんな感じしますね。湧きあがって 生まれてきちゃうから 早く形にしてあげなきゃ って…」

おじゃら 「 さるさま、アタシはまだ先生というほど作っておりませんが、まあ、せっかちなんですかね。絵は湧いてくるというか、その前にできているというか。早いですよ。(笑) まあ、作ればいいってもんじゃありませんからね。大切なことは、出来上がった作品がイイかどうかということだけですね。キッパリ。」

おじゃら画廊

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