◆◆◆ 2195 ★ ルノアール 都会のダンス ドガ 青い踊り子 ロートレック ジャンアブリル ◆◆◆

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2015年5月5日

ルノアール 都会のダンス

モデルはシュザンヌ。このときに、子供を身ごもっていたが、本人が父親を明かさなかったので、

父親は、ユトリロだという説が有力だが、ルノアールかもともいわれている。

*くーっ。絵の世界って下世話ねー。

■田舎のダンスという作品がある。

このときのモデルはアリーヌ。後に、ルノアールの妻となる。

この絵のモデルもシュザンヌがする予定だったが、アリーヌが嫉妬したため、彼女をモデルとして描いた。

■ルノアールは、アリーヌとともにイタリア旅行。このときに、ラファエロの絵を目にした。

ハッキリとした形態、考え抜かれた構図、抑制の効いた色彩。

ルノアールは、自分もまた、ラファエロのような、普遍的な魅力を持った作品を作りたいと思った。

しかし、光の移ろいを捉えるため華やかな色彩を使ったり、輪郭線をぼかす印象派の画風は、

ルノアールの目標とする絵画とは相矛盾するものでした。

イタリア旅行から帰国したルノアールが翌年に描いた、都会のダンス。

背景の細部を省略した、洗練された構図、抑制の効いた色彩、ハッキリとした輪郭線で描かれた明確な人物の形態。

印象派とは異なる表現手法が使われている。

当時のことをルノアールは回想している。

私は印象派の果まで歩いて行って、もはや、色で描くことも、線で描くこともできなくなった。

都会のダンスは、ルノアールが、印象派と決別したことを示す名画。

青い踊り子たち。

デッサンを含めると、1500点以上も踊り子の絵を描いたドガ。

一見この作品は、パステルのように見えるが、実は油彩画。絵の具が不透明になるように、白を混ぜ、

厚く塗ることでパステルと同じような効果を出す。

この作品を生み出したとき、ドガはほとんど眼が見えなくなっていて、

指で描いたと言われている。

ドガがこの時期に残した言葉

「何よりもまず、私は一人でいたい。私の視力の乏しい眼でもって、可能な限り、最も静かに仕事をしたい。この思考と安寧を獲得するために、ただひとり、死んでゆくことにしたい。」



視力をうしなう直前に描かれた青い踊り子たち。

四ー五人のグループを至近距離から捉えるようになった。踊り子たちも、ひとりひとりの個性がなくなり、まるで一人の人が何人もいるようである。



ドガは、実際には仕事はアトリエでしていた。ドガは現場でデッサンはするものの、記憶と想像力を駆使して、自分が本当に感動したものを、キャンバスの上で再現していた。



だからこそ、視力が衰えたあとも、踊り子の作品が描けたのです。

■ ロートレック ジャン アブリル

ロートレックか゜、見事にスピード感溢れる踊りの情景を描いた名画。

■バランタンとグーリュ ブルジュア階級の集うキャバレー

ムーランルージュの絵を描いた作品は、店が買取、さらに、店の宣伝用ポスターも依頼した。

イタリアの貴族と高級娼婦との間に産まれたジャンは、幼い頃から、物乞いや売春をさせられる、ミジメな幼少時代を過ごした。

ロートレックは、彼女の、隠しきれない内心の陰りを共感をもって描いている。幼少から、骨格の病気と事故のため、足の病気で

成長が止まり、容姿にコンプレックスを感じていたロートレックと、共通するものを感じた。

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