◆◆◆ 2192 ★ ドガの問題作 青い踊り子たち ◆◆◆

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2015年5月5日

ドガの問題作 青い踊り子たち。1890年ごろ

2015年5月5日 12:02

オペラ座。パリ王立国立劇場。 十九世紀に作られる。天井画はシャガール。

*パリに行ったとき、どうしていかなかったんだ?

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ダンサーがウエイクアップをする場所に、ドガはしばしば訪れて、長らく眺めていた。

「ドガのこの絵は、二十世紀の絵画を先取りした画期的な作品。」

*水上バスには乗ったな。うん。

オルセー美術館

青い踊り子たち。 85*75の油彩画

チュチュを来た踊り子たち。みんな下を向いている。

その奥には本番中の踊り子たち

無数の点がふられていて、どの踊り子も、ぼんやりとしている。

輪郭線は、めをこらすと、ところどころに途切れがちに引かれた奇妙な線。

美しい色とこの線が響きあう。

■ このとき、ドガ、最大のピンチ。

幼い時から、バレエを習っているけど、なかなか浮かばれない。それでも、オペラ座の舞台でいつか踊ってみたい。

■ 二十代からオペラ座に通っていたドガ。 本格的に踊り子を描くのは三十代を過ぎてから。

大勢の少女たちの、ちょっとした仕草が描かれている。(背中を書くたり、ピアスを気にしたり)

■ ドガは、気に入った踊り子をアトリエに招いてスケッチを重ねる。そういったスケッチを組み合わせ、一枚の絵画に仕立てる。

■ 青い踊り子の時期、ドガの視力は著しく低下し、筆先もよく見えなかった。

■ ドガのアトリエは、モンマルトルにあった。

*モンマルトルには行った。尊敬する荻須高徳先生の墓参りである。

■ この頃、ドガは、アトリエに引き篭るようになっていた。

■ 印象派の展覧会は、酷評されるも、ドガの絵は、比較的好印象だった。他の画家よりリッチだったドガは、よき理解者であった父の加護もあり、幼い頃から絵の教育も受けていた。

父親が亡くなった時、父の銀行が、莫大な負債を抱えていることを知る。また、弟は、事業に失敗し莫大な借金。

皮肉にもドガは、このとき、はじめて本物の画家になった。

生まれて初めて、稼ぐために、絵を書く事になる。

このときから、パステルという画材を使うようになる。色を重ねると、したの絵と色が重なりあう。

■しかし、この頃、ドガは、誰も買い手のつかないものを作り始める。

ブロンズの彫刻に、布のチュチュを着せる。

ドガの彫刻は、布という素材を使ったばかりでなく、オリジナルの?の彫刻(塑像)には、

人毛を使い、バレーシューズまで履かせたと言われている。

*(当時の印象派展にはブロンズでだしたのかな?蝋人形かな?)

青い踊り子では、ドガは指を使って描いていた。新たな表現の模索。

(*眼がみえなかったからじゃないのかな)

輪郭線は、面の境界を少しズラして作っている。

このとき、ドガは、失明という運命と戦っていた。戦争での寒さのため、眼を痛めたというのが通説。

戸外での創作も、眼を守るためにかたくなに拒み、屋内での制作にはげむ。

画家の死後、アトリエから大量に見つかった彫刻。

ロウソクの塑像は、ドガが、モデル無しに絵を描くためのアイテムであった。

生前、アトリエを訪ねた者の話。

「ドガはロウソクを手に取り、小さな像を回しながら、映し出されたシルエットの影が刻刻と変化する様子を私に見せた。」

クルクルと回る踊り子の表現を、自宅で再現していた。

■おそらく、四人いる踊り子のモデルは一人なのです。

「サテンの靴をつけた踊り子の足が、まるで刺繍針のように悦びの絵模様を刺繍する。」ドガの詩

飛び跳ねる踊り子たち。私の眼は彼女たちを追い求め疲れる。

この絵を描きながら、画家はあるものを解析していた。

イギリスの写真家、世界で初めて、連続する人や馬の動きの写真撮影に成功する。

この頃からドガは、横長の絵を多く書くようになっている。

ストップモーションの写真に似ている。

連続写真で動きの正確なメカニズムを学び、それを絵画で再現・表現しようとした。

青い踊り子は、実は、一人の踊り子の動き。

しかし、単純な連続写真ではない。

踊り子が見せる様々な表情を一枚の絵に描く。一人の少女が見せる緊張と不安

絵画の常識を塗り替える驚きの手法。

視力は失われようと、聴力は残っている。

音から動きを見ることができよう。 ドガ。

*そう、ドガの絵は、動きをどう表現するのか。という挑戦なのである。

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*芸術表現というのは、動き(瞬間表現)である。

もしくは、感動・喜怒哀楽の表現。奇妙奇天烈、奇想天外な表現。

そういう物が、絵の中になければ、見る者が、その作品にたいし、心を動かしたりはしないものである。

先ほどの清志郎さんの番組しかり。ゴッホの絵には、動きが少ないし、人の絵の模倣的なものが多い。

強烈な色彩で人を驚かせたりすることはあっても、それはごく一部の優れた絵に賞賛が集まり、

他の絵の評価も高まったという結果にすぎない。

私はゴッホを否定しているわけではない。

ただ、ゴーギャンや、ドガの絵と並ぶと可愛そうだと思うだけである。

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