◆◆◆ 2190 ★ 忌野清志郎さん 本物のゴッホを見に行く◆◆◆
個人的な感想にはコメントの前に*印
テレビの解説などは●印がついています。
2015年5月5日 忌野清志郎さん 本物のゴッホを見に行く 番組「何故ゴッホなんですか」 清志郎さん「(理由は)複雑ですけど、永遠のロックスター。アイドルですよね。憧れっていうか。 やっぱり、ジミーヘンドリックスですよねー。駄作も多いけど、音楽超えちゃってる。」 ヤッパリゴッホはスーパーヒーローだった。 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 高校時代は画家志望 部屋にはいつも、鉛筆とギターがあった。 「描き上げたばかりの自画像を僕に ヴィンセント・バン・ゴッホが見せる絵具のにおいに 僕はただ、泣いていたんだ。」 ゴッホはスーパーヒーロー。 曲をつくる傍にいつもゴッホの画集があった。 「君の愛で間に合わせようとしたのに、、、、、」 スタジオの隣にあるアトリエ。たくさんの絵画が大量においてある。 今も、絵を描いている。 最近は、家族の絵ばかりである。 二人の子供のパパ。 今は、ゴッホのような絵は描かない。 *ゴッホのような絵。絵の具を盛り上げた、速い筆致の絵のことである。 計算され作れた色塗りの順番と、捕色や反対色を駆使した独特の世界観。 多くの日本人に愛されている絵画である。
|
|
−−−−−−−−−−−−−− ■ 岩手でミレーとゴッホを見る 清「僕ゴッホを見るの 初めてなんですよね」 番組「今日、便箋持ってらっしゃいますけど」 清「ビンセントなんで、、、、」 この番組は、以前(5−6年前)にも見たが、このシーンが一番笑えた。 ちなみに、彼は、絵を見ている間ずっと便箋を持っていて、その細やかさが、更におかしい。 −−−−−−
清「いきなりスゴイっすよね。ミレーは巧いですね。」 清「ミレーは、自分の道をずーっと突き詰めている感じがしますよね。天才ですよね。」 彼が岩手で見ている作品は、ローカルということもあり、習作時代の素描などが多い。 ミレーと同じテーマでゴッホは何点も作品を作ってる。 清「このアタリの絵具、グチャグチャになっちゃってる。絵に対する考え方が違っちゃってます。ミレーのあとだと、(ゴッホの絵が)可哀想。順番変えちゃったほうがいいかな。」 *(;´∀`) いやーん。 −−−−−−−− サン・レミ 精神病院で描いた、晩年の作品。 清 「ちゃんと描いてないですよね。いっちゃってるなー。勢いをぶつけてる感じです。考えて描いてない感じ。」 清「ゴッホは、自分に負けちゃったんじゃないですかね。最後は。」 *自分に負けるかぁ。 自分の狂気に。ということだろう。それは、アタシにも判る。 絵に、自分の激しいものが出てくるようになり、私は救われたと思ったことがあった。 それが、私の画業の、一つのターニングポイントでもあったと思う。 −−−−−−− 番組「ゴッホへの味方は変わりましたか」 清「いやー、、ミレーが凄かった」 ■「一生懸命な感じですよね。ゴッホってね。のめり込んで、追求しているというか。 非常に満足できない感じがね。そういう、ロックな感じと似ていると思ったんでしょうね。今思うと、 ミレーの方がもっと満足していないから、描き続けたって感じがしますよね。諦めないっていうか。」 −−−−−−−−− 三十七歳で自らの命を絶ったゴッホ。 あなたは、青春のヒーローに過ぎなかったんですか。 ============= ゴッホと僕 二十代も三十代も、今も、模索って感じですかね。 ゴッホもそうだったんじゃないか。 生きてれば、もっと違ったんじゃないか。 −−−−−−−−− *ゴッホの絵というのは、描写的だからね、風景画と同じように、何のヒネリもない。 あるとすれば、独特のマチエール(絵具の塗り方)なんだろうと思う。 まあ、それだけでも、今はスゴイと思う。 アタシも、どちらかといえば、厚塗りの早描きなので、彼の技法はいつも参考にしている。 絵を速く描くという作業は、色を塗る順番と、絵具の硬さの違いというものの理解により大きく変わる。 油絵は、乾燥が遅いため、加筆しようとすると、下の絵具と色が混ざり、絵の具が混色されてしまうのだ。 色を混色しないためには、下の絵の具が完全に乾燥してから加筆するか、したの絵の具と混じることを計算して描くか、 硬さの異なる絵の具を乗せ、混色を避ける。この三つしかない。(アタシは、そのどれでもないんだけど。(*゚▽゚*)) とりあえず、急いで完成させたいのである。 理由は、性格的な問題だと思う。 あとから加筆しようと思うと、モデルはいなくなっちゃうし、風景は、天気が変わったり、時間により、色が違ったりする。 モネのように、毎日同じ場所に行き、何枚もの巨大カンバスを取り替えながら、毎日絵を描くなどというのは、 別な才能である。(家族などの)アシスタントがいたのかもしれない。 そんな面倒なことができていたら、誰だってモネになれるのである。 フツーにそんなことはできない。 佐伯祐三のように、絵というのは、その場で完成させたい。というのが、才能ある画家のフツーの感情だと思う。 そこにもう一度行くのは面倒だもん。 佐伯は、二十号のカンバス二枚を背負い、パリの街を毎日描き続けた。 まさに、そんな感じ。荻須高徳さんもたぶんそうだろうと思う。 現地で直接描く絵の勢いというものは、後で加筆するというのとは違う絵に仕上がるし、もし加筆するとしても、輪郭線のごく一部なんだろうと思う。 (それは、絵を見ての、アタシの個人的な感想です)
|
|
損保ジャパン、 東郷青児美術館 ひまわりを見て 「でかいんだね。」 「これがゴッホですよ。真面目に、絵に立ち向かっている感じですよね。一生懸命、没頭している。」 やっぱ、全然スゴイですよね。昨日みたいな、即興演奏みたいなの、好きじゃない。絵を超えちゃってるような感じですよね。 人々にバーンと力を与えている。見る人に勇気を与えるようなパワーですよね。」 *傑作というものは、そういうものだろう。 一枚日本にあることが奇跡。 清「ヒマワリを見てヨカッタなーと。一安心。ヒマワリが、ホントの、画家としてのゴッホ。」 *オランダ(クレラーミュラー美術館)、行かんのかい?
|
|
さる たえさん、有坂 秀哉さん、他2人が「いいね!」と言っています。 さる たえ 清志郎さん 美大志望で予備校に行ったら、デッサンのせいで自分の絵がつまらないものになったと やめてしまったということだったけど、もし、デッサンしても絵がつまらなくならなかったら、RCサクセションは聴けなかったのかもしれませんね。 オランダと東郷青児美術館で ひまわり みましたが 日本の方が強く感じたのは なぜなのでしょう。重々しい扱いだったからでしょうか・・・。
おじゃら 倫子 さる たえさま、 私は、オランダでは見たことないので、なんとも言えません。12枚ぐらいあったらしいです。戦争で消失したのがあるとか、ないとか。 清志郎さんのファンなので、前にも拝見しましたが、もう一回見ちゃいました。(*゚▽゚*) 彼の曲は、自由でいいなあと思います。
おじゃら 倫子 ゴッホのひまわりの絵について一つ言えることは、絵の具の酸化により、色が変色して、現在の色になったので、描いた当時とは、違う色彩だったのではないのかというところですね。ホワイトやイエロが、酸化して、多少暗くなっているのが、重厚な感じに絵を昇華させたと言われています。 ので、保存状態がいいと、酸化があまり進まないかもしれませんからね。(ワニスを塗るなど、画面を保護していた場合とか) 色彩に違いが出ることはあるかもしれません。 |
|
Established 1998 Rica's Bar WEB SITE & Since 2003 Atelier Ojara. |