◆◆◆ 2182 ★ 横山大観先生

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2015年4月27日

横山大観 富士山

大観といえば富士 「或る日の太平洋」昭和二十七年 連合国の占領が終了した年。

天才になるとね、見えないものが見え、現実以上の美しさが見えるもんなんだよ。

(番組の狂言回しの言葉)

■ 大観先生が初めて描いた富士 二十七歳 武蔵野

しかし、若い頃に富士を描いた作品はほとんどなかった。

■ 岡倉天心に、富士を描きたいと相談したところ、「富士は難しいぞ」と言われ、明治の頃はあまり描いていない。

■ 富士を題材にした絵は、以前にもありました。北斎や広重の富士が人気になり、ヨーロッパでも評価された。

天心は、過去の巨匠たちを超える富士を描けるのか。それを問うたのです。

大観は、五十歳を目前にして、富士を描き始める。

■ 明治元年 水戸に生まれる

十歳で上京、二十一歳で 美術学校(芸大)に第一期生として入学。

大観は、洋画ブームの中でも、あくまでも日本の芸術にこだわり、新たな時代の日本画を作り出そうとした。

■ 大観は天心の元で、新しい日本画に挑戦する。朦朧体 輪郭線をなくした絵画を確立する。

■ 大観が富士を描いた時期は三つに分けられる。

大正六年頃

戦争が始まった頃 日輪と富士のコンビ

昭和十年代後半 海山十題 自然を織り交ぜた富士。

大観は、海山十題の売上を軍に寄付し、軍はそのお金で戦闘機を購入した。

■ 大観は、そのことで非難を浴びることもあった。

■日本の敗戦が描かせた富士。 荒れ狂う波、富士にかかる暗い霧は混沌とした時代を現している。

それでも富士は、いつの時代もかわることなく輝き続ける。敗戦のあと、自信と希望をなくした日本人へのメッセージ。

たとえ困難の中にあろうとも、日本人としての心はここにある。凛とした富士のように。

「無窮の美= 永遠の美」の再確認

■ 富士はいつ いかなる時でも美しい。それは、いわば 無窮の姿だからだ。私の芸術も その無窮の美を追う。大観

大観は、富士を描くことが、この時代に最も相応しいと考えた。

■ 野間静六が、「シュールレアレズムの絵」と評したときに、大観はニガ笑いしたという。

■ 確かに、荒れ狂う海、龍、稲妻、は現実を超えている

■ 土佐はの絵巻や高野山の菩薩などの古典を省みれば それに通じるものを見いだせるのだと考え、むしろ外来のシュールレアリズムは古めかしい。

■ 古典的な日本的な日本画の題材で、目に見えない世界や象徴的なモチーフを組み合わせることは普通のこと。 日本の古典にこそシュールレアリズムを感じていた。中でも狩野派の絵。

狩野派の中でも 英岳は、富士と龍を組み合わせた画家。 富嶽登龍  龍は自然の怒りを抑える力を持つ。

■ 富嶽は美の象徴 龍は日本全体のパワー、力を表す。不吉な雲の上から真っ白い富嶽がそびえている。

どんな状況の中でも日本は美しい、日本は立ち上がれるんだ 日本人の心 畏敬の念と賛美の現れ。

富山大学芸術文化学部教授 大熊敏之先生


■ 大観は日本の復興と平和を祈り この絵を描いた。 荒波のように押し寄せた戦争に、一度は飲み込まれそうになった日本。龍は、敗戦という混乱からはいあがり日本を救う神であり、生きる力の象徴。

荒波を振り払い、霊峰富士へ向かおうとする龍。そのパワーを以て 日本は蘇る。日本人なら必ず成し遂げられるという大観の思いが、この龍には込められている。

*なるほど。日本の古典がシュールレアリズムという考えは初めて。

確かに、古事記はいきなりファンタジーだって思ったもん。ファンタジーも、シュールも似ていなくはない。ファンタジーの方がカワイイ。

■ 大観は日本の美を愛し 追求し続けた画家でした。 描いた富士の絵は 1500点余り。 美しき日本よ永遠なれ。

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