◆◆◆ 2145 ★ 川喜田 半泥土 ◆◆◆
個人的な感想にはコメントの前に*印
テレビの解説などは●印がついています。
2015.2.20 メモ 今回から、個人的な感想には*印つけることにしました。 *アタシの毒舌もお楽しみください。 川喜田 半泥子 / 銀行家(頭取)。陶芸はあくまで趣味。 ●物事にこだわらない。ただ、ひたすら楽しがっていでる。 ●困った人。 ●究極の趣味人 偉大なる素人 ●三万とも五万とも言われる創作品を生涯一辺も売らなかった −−−−−−−−−−−− 氏の言葉 芸術とは本来遊びである 権勢に媚びるための手段でも 生活の糧を得るための手段でも あるべきではない 陶芸は余技である ゆえに自分の理想とするものを 他人のことなど気にせずに 自由に自分の好きなように作ることができる 半泥子 −−−−−−−−−−−− 三重県 津市 石水博物館 / 半泥子の名品を集めた名品展 * くーっ。見たいな。確か、今、サントリー美を巡回中のはず。というのは間違い。ニンナミドウハチだった。三重はムリ。 −−−−−−−−−− 伊賀水差 「欲袋」 一見失敗作のように見える。歪んだ造形、外側には小石が散りばめられ ひび割れまで。 全体を支配している ひび割れは漆で継いで、波模様(青海波 せいがいは)。 この作品に影響を与えたのは、桃山時代の破袋(やぶれぶくろ)。 古田織部の作品。 (岐阜県現代陶芸美術館) 館長 榎本徹さん談 (半泥子は、所有者を何度も訪ね、この作品を長いこと見ていた時期があった) 「その部分では、桃山的なるモノの中に、オリジナリティーの強さというか、個人が個人として表現しようという意識の強さ。それを写そうと思ったんじゃないか。」 *確か、今年の正月に実物を見たやつ。 陶芸の先生も絶賛だった展示である。 ●その部分(ひび割れを黒漆で継いで金泥の青海波模様を書き込んだ修復部分)では桃山的なるモノの中に、オリジナリティーの強さというか 個人が個人として表現しようとした意識の強さ。それを写してやろうと思ったんじゃないかな。 −−−−−−−−−−−−− 半泥子 半ば泥(なづ)みて 半ば泥まず 禅の僧侶から名をもらう 何にでも没頭して泥にまみれながら、一方で、冷静に己を見つめよ という意味。 −−−−−−−−−−− 井戸茶碗 紅葉山 朝鮮王朝時代の茶碗を写す。 自らその茶碗を手に入れ、その美の探求に情熱を注ぐ。 自宅敷地に、当時の朝鮮風の釜を手作りで再現。 何度も火を入れ、試行錯誤を繰り返す。 現地に足を運び、現地の土を使い、使われなくなった古い釜を修復して作成。 現地の古い陶片や土を持ち帰り、日本での作陶に没頭する。 → 井戸手茶碗 渚 半泥子作 *ビミョー。味わいはあるけど、茶を点てると、内側の釉薬がまばらにかかっているので、凸凹があって、茶筅がボロボロになるね。 ボロボロ茶筅を長らくつかわなければならない、ビンボー茶人のアタシには辛い。 *手に入れた紅葉山と同じ大きさ。 有名茶碗とおなじ大きさに茶碗を作るっていうのは、重要だと思う。何でかといえば、有名な茶碗というのは、茶の泡立ちや、飲み頃の温度というのを、一発で点てられる要件も備えているはずだからである。 茶というのは、どんな茶碗でもちゃんと点てられるということではない。 茶碗に注いだ温度が、高すぎても、低すぎても、抹茶は泡立たない。 アタシは、茶道は我流だけど、個人的には泡泡が大好き。(裏千寄りということ) あの、泡が上唇に触れ、茶碗のへりの少し冷たい部分で、熱い茶の温度が 口に入れても熱くない温度に下がり、泡の甘さと、茶の苦味が、口の中で混じり 複雑な味になって喉の下まで通る。 いわれもないような飲み心地や爽快感が口の中に残り、その記憶は、ほとんどの人が 「旨い」という感想で刻まれるのである。 −−−−−−−−−−−−− ゲスト 武者小路流の千 宗屋さん *武者小路流なのに、千さんなんだ。 ムコに入らなかったってことなんだろうか。(*゚▽゚*) くーっ。事情知ってる方、今度教えてね。どーでもいいけど。 −−−−−−−−−−− 祖母の遺言 「己を誉むるものは悪魔と思うべし。我を誹るものは善知識と思うべし。只何事も我を忘れたるが第一也」 −−−−−−−−−− 千さんは、半泥子の大ファン 「一言で言うと、お茶を頂いて、楽しく、美味しい茶碗なんですねー」 自由で伸びやかな茶碗を作りながら、お茶そのものにも堪能。 表千家 北田ムテキサイ / 弟 ユウコウサイ 十二代 武者小路家の代表(千さんの曽祖父) が、二人で半泥子のところに遊びに行き、茶碗をもらってくる。 −−−−−−− ●形にとらわれず、自由に作る力、物をシッカリ見る力のある人 新たさん 千さん 数寄者 大正から昭和のあいだの、男性の社交手段として、お茶を楽しむ・美術を愛でるというのが、紳士のたしなみであった。 半泥子は、作るというところに、自分の芸術館の発路を見出していった。 作る数寄者といえる。 ●桃山時代の作品の写しから入っている半泥子の名作が多い 新さん 千さん これは、口が小さいですね。柄杓が入るのかなというのが心配です。 織部の袋の部分は、焼いている時に縁が割れたんだと思うが、半泥子は、その造形美により、魅力を感じて、似たのを作ったんだと思う。 −−−−−−−− 粉引茶碗 雪の曙 ●半泥子ならではの哲学が込められた作品。淡い青から白。 桃色へと移り変わる色が雪原のよう。奇妙な模様は、指のあと。それが面白いとあえて残している。 *薄い桜色がステキ 作為アリアリな造形にも見えるけど、作為を全く感じない。それは、作家の力量によるものだと私は思っている。どんな力量かといえば、無理して歪ませたりしないという、昔の作品に似せるための小細工をするかしないのか。ニセを作って売ろうと思っているか、そうでないのかという、作家の卑しさや下心のある無しだとアタシは思っている。 心の卑しさというのは、陶芸には全部でてしまうのよ。怖い創作活動である。 要するに、それなりに整った造形を作ったんだけど、焼いているとき、乾燥中などに、自然に歪んでしまう。歪みができるのは、造形を作るときとは限らない。 ●一度引いた形をあとで直さない。 →これはアタシもそう。(*゚▽゚*) 当たり前だよ。 一回作った造形を削ったりしたことないよ。エッヘン。 ・・・・・こんなこと書くと、陶芸教室の皆さんに嫌われるわ。。。。マズイわね。 素人が作ると、歪んだ茶碗を真似て、歪まそうとするからね。 その、柔らかく引き上がった造形を、手でちょっ歪みをつけるときに、作為が出てしまう。 そういうことなんだと思ってる。 アタシの作品は、物凄い速さで作られるから歪むし、練が甘いから、フツーにひび割れるんだけど、センセイに捨てられちゃうからね。(*゚▽゚*) 先生、割れてても捨てないでよ。 的な。仕方ないわ。美意識の違い。親鸞様のお面、、、、、ぐぐぐぐぐ(大破していたらしく破棄されていた) 存在しない作品のことを考えるのはよそう。 −−−−−−−−− ● 異なる産地の技法を融合させて、新しい作品をつくる。 半泥子という人はね、物事にとらわれない、ああ、いいんだよ。これでというような、 自由なものごとの発想のしかたが(作品に)現れていると思う。僕なんかは、そういうふうに考えるのは難しいと思う。 偉大なる素人のなせる技 ===== ● 半泥子の作る作品は、古さを全く感じないですね。 新さん ●千さん「大変好きな茶碗ですね。雪解け、雪が溶けてきて、春の日差しを感じさせる茶碗。 それでいて、この茶碗のもう一つの特徴は形の豊かさ。 胴の張りのある丸み。伸びてゆく轆轤。 轆轤の茶碗で、魅力ある茶碗は、器の形が終わっても、まだ轆轤が伸び続けている。 ただ凡庸な茶碗というのは、轆轤が終わってしまうと、そこで形が終わってしまう。 半泥子の茶碗は、たまたまここで土が終わってしまったらか形が終わっている。 このまま轆轤が先に伸びていく。そういうスピード感というか一つの形に収まらない伸びやかさを連想させる。 指あとにしても、感覚がいいですよね。 琢磨ざるして出来たバランス感覚。 全て、天性のものではある。こういう作品は、一点・二点ではできない。 百年に一度の茶碗。 沢山つくってきたからこういう作品ができる。 *深い。千さん、ファンになりました。もっとお話伺いたいです。 −−−−−−− 井戸手茶碗 半泥子から佐藤栄作(総理大臣)に渡された さみだれ 雪の曙と並ぶ代表作。 *ほとんど使われてなくて、茶碗が育ってないわね。残念。結構大きい。 ●ズッシリしますね。見た目の艶やかさと同じように、ピッタリと、手に吸い付きますね。新さん ●千さん シッカリとした重さがありますね。半泥子の手の跡をなぞっている。半泥子の手の隙間からできる。いわば半泥子と握手をしている。 半泥子は、高台はシッカリ作る。 しかも、ぐだくだつくるのではなく、削りは一気呵成につくる。一回しか回さない。 二回、三回とつくるのでは、勢いがなくなってしまう。形が、だんだんゆるくなってしまう。 削るときは、一気にいってしまう。これも、ひとヘラだけです。 大きかろうが、ちいさかろうが、高台というものはシッカリつくらなければならない。 ●それが、この茶碗にもよく表れています。 半泥子の技術の高さがよく表れていると思います。 *ヒドイ茶碗ねー。三千円ぐらいで売ってそう。 −−−−−−− 戦後アメリカ軍に 家屋敷を没収された半泥子は、三重県・津に、山の庵に建てた小さな釜と、茶室に移り住む。 泥仏堂 半泥子が書いた、ハーワーユー(杷和遊)、カムアゲイン(口感(口編に感の心を取った文字) 阿 厳)という屏風絵。外国の客人をもてなすため。 自分の代わりにお客さんをお迎えする仏像。 首が胴体と分かれていて、好まない客人の来訪時には、人形の首を後ろに向けたのだという。六十七歳で引退。陶芸三昧。 茶室 山里 *幸せだったのか。どうだろう。 頭取の仕事というのは、大変だったと思うけど。 作品が大事にされて残っているということが、作家の幸せなのだとすれば、 幸せに違いない。 陶芸作品というのは、破片になったとしても永遠に朽ちることはないのである。 絵の具が退色しないだろうかとか、紙がムシに食われるかなんて、考える必要がないのだ。 −−−−−− 大詫茶碗 残月 粗い土、罅だらけ。おおわびの境地。 ここに至るまでには、ある出来事があった。
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●東京からの帰りに、駅で下車 、いつもの癖で、右手でドアーを ぴしゃっと閉めて降りた。 トタンに土方風の男が飛び乗ろうとして、アっと思ったとき”馬鹿野郎”と 大喝、一声喰らわされた。 僕は思わず”なるほどナァー”とニサッと笑ったら、土方もクスリと笑った。 人から馬鹿野郎と怒鳴られて、心気一洗、僕は禅の悟りを聞いたというような サバサバした気持ちだった。 ”これだ人生は”と感じて、それから馬鹿野郎で暮らすことにした。 −−−−−− 刷毛目茶碗 「これはこれは」 その姿は、まるで土の塊。 *素焼きみたいに見えるけどな。土そのもの。溶岩が吹き出した火山のよう。 半泥子の心のありようを物語っている。 ●千さん 一節には、この茶碗を差し出された人が、「これはこれは」と言ったので、そういう銘になったと言われています。 −−−−−−−−− |
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●赤シャツの陶芸家 (金重 晃介さん) 赤が印象的な備前焼の 作品。 備前焼は、釉をかけず焼く。緋 ひだすき(衣篇に欅の右側) 室町ぐらいからあった、摺り鉢 に何枚も重ねて焼くときに、藁を挟んだ。 その部分が赤くなる。 半泥子は、焼く前から罅が入っていた茶碗の割れを防ぐために藁を巻いた。 しの焼きの作品に藁を巻いた部分が赤くなった。 (金重 晃介さん)物にとらわれない、ああ、いいんだよ。これでという、自由なものごとの発想のしかたというのが、よく表れている。 僕なんかでも、そういう自由な発想は難しいと思います。 ただひたすら、楽しがっている。でもなかなかできないし。 心根は、やっぱり、純心な心持ちなんたろうね。子供心を全く失っていない。 *この方、コメントの最中、ずっと腕を組んでいて、作品全否定「俺は認めてない」 っていうオーラ全開でした。苦労しているんだなと思った。 ●三女 したいことをして、幸せだった人だ。 ●評論家風の人 (岐阜県現代陶芸美術館) 館長 榎本徹さん 他からの目とか、評価とか、人間死ぬまで、そんなことを考えているんだろうなと。突き抜けちゃうと、ここまで突き抜けちゃう人がいるんだと思うと、不思議でしょうがない。 そういう意味では、困った人だと思わざるを得ない。ホントウに困った人ですよ。 −−−−−−− 新さん、 ●芸術とは遊びだという言葉、心に沁みるなーと。 |
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●千さん 徹底した人。徹底して遊ぶ。 やっぱり、徹底した人、徹底的に遊んだんじゃないかと。 遊びというのは、表面的な解釈だと、浮ついたことばですが 徹底して遊ぶつていうのは、なんでしょうかね。遊ぶつていうのは、本来神様がなすこと。 っていう説もあります。 まさに、そういう境地に至った。 彼にとっては、人生そのものが、遊びであった。 偉大なるアマチュア。 生きることそのものも、アマチュアの精神を忘れなかった。 まさに半泥ですね。 それも、徹底した上で、どこか冷めた、自分というものがいた。 半泥子の生き様というものが、生涯に渡って作品を通して表れている。 単なるモノじゃなくて、モノ を通して、半泥子に会っているような、作品に触れると、 半泥子に会っているような、気になる それが半泥子の作品の一番の魅力なんじゃないかなと思います。 |
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