◆◆◆ 2133 ★ 仁阿弥道八・デ・キリコ ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送

(あとはいつでも見れますよん)

2015.1.30

仁阿弥道八 サントリー美術館

十九世紀 京都、京焼の陶工。外国から輸入された陶器の模倣を

うまく作ることが成功のカギ。

仁阿弥といえば茶道具を指すほど人気があった。

色絵桜楓文様 鉢。 (この人のパクリ品かぁ。持ってます。(*゚▽゚*) フランス屋さんのバケット食べるときに使ってます。)

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根来(ねごろ)塗り 下地に黒漆を塗り、その上から朱漆を塗る。利用が進んで、朱がはげてくると黒がでてくるという漆器。

1月30日

デ・キリコ

シュルレアリスム 二十世紀前半にパリで誕生した芸術運動。 現実を超え、人間の無意識の領域を表現しようとする。

詩人アンドレブルトン

キリコによって、絵画は純粋な象徴表現へと移行された。

驚きを呼び起こすもののみが、人の意図に自問を 強いることができるのである。

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三十歳を過ぎ、形而上絵画を否定するような、素直な写実表現のような絵画を作り始める。自画像も書き始める。現実と非現実が入り混じる作品。

シュルリアリストたちから、作品が後退していると避難される。

評論家 峯村敏明さん

カルロ・カッラ キリコよりも若い。キリコによく似た作品を作り、自分こそが形而上絵画の一人者だと名乗り、キリコが、カッラのパクリのような扱いになってしまう。

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キリコはボルゲーノ美術館の、テッツァーノの作品に触れる。

キリコ著 キリコ回想録より、偉大な絵画とは何かということについて目を見開かされた。それまでの私は、描かれたイメージしか見てこなかったのである。

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感想 まあ、突然、芸術とは何かに気づく日はある。それは、大量に見て歩くだけではダメだ。そのとき(芸術とは何かに気づいた日)から、画家は、自分の目指す方針というのを全く変えてまで新しい表現に挑み始めるのである。

それが、どんなに批判を浴びて、世間から理解されず、どんなに困難であっても、進まずにはいられない。進んだ道の新しい表現を自分自身が手に入れられなければ、世に出ることもないのである。

ティッツァーノの美意識に触れ、キリコは、自分の安易な創作物の欠陥に気づき、それを乗り越えるべく、自分にしか作れず、誰にも追随できない世界を目指し始めたということになる。

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評論家 峯村敏明さん

自分のやってきた、形而(けいじ)上絵画というものが、イメージに依存する絵画であった。それは、他の人だって描けてしまう。真似されてしまう。絵画が、真似されない、偽を作らせない、本当のオリジナリティーためにはどうしたらいいのか。

独特の技法であり、筆使い、マチエール、(作品に込められた、その画家にしか表現できない独自の技術)そういうものに、強く気がついたんじゃないか。

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この模索が、新たな形而上絵画を産みだす重要なステップとなってゆく。

絵画とは、ひとつの織物である、色彩を積み上げてゆくことなのである。キリコ

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評論家 峯村敏明さん

古典を探求していたときの時代の作品にこそ画家としての大きな魅力を感じる。

●これ見て、変な絵だなあと思うんですけれども、納得させられちゃう、

「考古学者たち」

マネキンの様な二人の人物。古代遺跡を抱えて座っている。

丹念に塗り重ねられた絵具。

イメージを出すことだけが問題なんじゃなくて、そのイメージを成立させる。物質的、人間の働きの条件をちゃんと明示しながら作る。絵画というのは、描かれてはじめて絵画である。描かれるだけが絵画ではない。絵画はイメージではないと言っている。

この番組、まだ見終わってないんだけど、ここまでの感想。

真の芸術というものは、独自の表現の中にも、他が追随できない何物かの技巧であったり、パッションであったり、あるいはそれら全てが、付加されて形成される。

という話は、アタシも気がついたことがあった。

いつだったかな。

パクられるような安易な作品は、芸術に昇華し得ない。

という現実はある。

だから、たとえば、安易で誰にでも作れそうな作品であれば、レゾネなどをつくり、素人でも真贋を確認できるようにしなければならない。

扱い者も限定し、遺族や知人などの鑑定人などもいれば、安易な作品が芸術的な価値で売買されていることもないわけでもない。

まあ、アートのマーケットというのは、混沌としているものだからね。

キリコは、ティッツアーノの絵を見て、それに気づいたということになり、そのことは、彼にとっての幸運だったと思う。

先日来た書家の人、弟さんは本国では有名な水墨画家。

弟の言葉(描いた絵を指差し)「これは金だから。売れなかったらただの紙だよ」と言うのだと話してくれた。

弟の絵を見た。

確かに本物だとおもった。例えば、トーハクの収蔵品と並んでも古さ以外は劣らない。

兄は、日本国内ではイロイロと出品しているみたいだが、安くは販売したくはないし、作品は手放さないという。

アタシは、もし、そんなに優れた作品ならば画商が扱うはずなので、いくつかシリーズで描き、手放すように勧める。どの画廊も買ってくれたりはしないし、その人も、そんなに描けたりもしないのが普通である。

作品というのは、売らないとよくならない。

それだけは、ここのところの私の経験で確かだと思う。

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