◆◆◆ 2127 ★ FB日記の整理-3 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送

(あとはいつでも見れますよん)

2015.1.28.

2015年1月8日 14:03

本日、超萌えないゴミの日。 水牛の角二本と、小さいポット、工具などをゲット。そのあと、陶芸教室に年始のご挨拶に行くと、水牛の角は、茶入の蓋に使うという話で盛り上がる。茶入の蓋ねぇ。カンタンそうだけど、、、、、、どーなんだろうね?

2015年1月9日

メモ 雪舟

六点が国宝になったのは雪舟だけ。スゲー。

南宋時代の絵には、画家の心のゆとりまで描写されている。水墨画がこれほどの高みに至った時代は他にはない。1279年 元に侵攻され滅亡。数々の名品が海を渡日本へとたどり着く。それらを、日本の画家は、しきりに模写した。雪舟はそれを模写し、後進の画家が、またその模写を模写する。戦火をまぬがれて、沢山の南宋の水墨画が来日してきたということである。

国宝 「破墨山水図」 雪舟晩年の作品。

遠く霧にかすむ山、手前には草が生い茂る水辺の状況。南宋の絵に学んだ余白が見る者に無言の対話を誘う。しかし、藪を描く大胆な筆は、まぎれもない雪舟自信、南宋の伝統を引き継ぎながら独自の画風を作り上げた。

●雪舟の絵は、躍動感に溢れている。単なる真似ではない。南宋の技術を習得した上で自らの表現を自在に加えている。

●目に見えるものだけでなく、心で悟ったものを描いている。

解説 学習院大学 島尾新教授

雪舟の海外での評価に注目。

●ゲスト 水墨画家 ふ 益ようさん。(人偏に溥儀のフの右側、益、王偏に逍遥のようの人偏じゃないほう)

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比叡山 延暦寺 の壁画を書いた人。談。

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国宝 「秋冬山水図」 

何度見ても陶酔してしまう。墨絵が求める内面の心の動きが写し取られている。遠くから見ると輪郭線が、強い雰囲気のように思うかもしれないが、近くから見ると、動きのある、踊るような、唄うような線の存在がある。

それから、南宋の水墨画は、空間を一番重視している。

一部を描くのでもなく、全体の宇宙の中に存在するという空間の表現なんです。

周文 「四季山水図」 相国寺 画僧のトップ。南宋の絵画に学びながら雅な画風が、都の人の心を捉えた。

1月9日 11:01 ? 編集済み ? いいね!

おじゃら 倫子 京都五山、足利義光により建立。禅宗の大寺院。幕府の御用絵師、著名な画僧を多数排出。

1月9日 11:00 ? いいね!

おじゃら 倫子 その後周防 大内氏にて働く。殿様の肖像画などを作成して暮らす。1467年、遣明使として中国に派遣される。四十八歳で中国に絵を学びに渡中。 寧派から北京まで水路で旅をする。雪舟の仕事は街や風俗をスケッチし、日本に伝えることであった。金山寺など、絵で見たことしかなかった風景を実際に描く。「唐土勝景図巻」 丁寧で情感溢れるその筆から、雪舟の感動が伝わってくる。

1月9日 11:08 ? 編集済み ? いいね!

おじゃら 倫子 「春冬山水図」 せっぱ(三水に折る、)派の画家、戴進(たいしん)作。 実際に見る本画の絵が、日本にある作品とは違っていた。南宋絵画の流れを組みながら、庶民的な自由な画風を作り上げる水墨画を雪舟は本場中国にて目にすることになる。。解説 学習院大学 島尾新教授  セッパの画風、ラフ(軽やかで雑)で、力強い。雪舟はそれを見て、ああこれだ。本場の方が、自分の画風に近い、自分の資質に近い。そういうものを発見した。北京にやってきた雪舟は大きな仕事を任される。 中国で描いた「四季山水図」 中国の人が雪舟の画力に驚嘆し、役所を飾る作品をを描かせた。 人々の暮らしと自然の息遣い。中国で大きな自信を掴んだ渾身の大作。自ら「日本禅人等揚」とサインを入れ、この絵が日本人の手であることを示す。

1月10日 9:04 ? 編集済み ? いいね!

秋山 忠義 小僧のときに折檻されて縛られて涙で描いた鼠が動き出すほど上手だったとかいう逸話がありましたね。

1月9日 11:21 ? いいね!を取り消す ? 1

おじゃら 倫子 確かにね、木の枝なんかは力強いですし、大胆に省略し全体の大きさを感じさせるぼかしなんかも絶妙だなと思いますが、「へぇこれが感」は否めませんね。アタシもまだまだ勉強が足りません。

1月9日 17:50 ? いいね! ? 1

秋山 忠義 雪舟には雪舟の倫子には倫子の良いところがある。

1月9日 19:36 ? いいね!を取り消す ? 1

おじゃら 倫子 中国の禅宗五三 天童寺(寧波) 。雪舟が中国の旅の行き来に滞在したお寺。日本の栄西や道元も修行した寺。北京で宮廷を訪れた雪舟は、側近たちに丁重にもてなされたお礼に、大作を一枚献上。皇帝はその絵に感服し、「天童第一座」の称号を与えられた。天童寺には、雪舟の肖像画とともに、称号も掲示されている。 中国の画家は、画学生に、「あななたちはどうしてこのような絵が描けないのかと、叱咤する」 ゲストの女流画家さん「雪舟は幸せな画家だ。全体を見てガッチリした作品。よく見ると、人物が入っているし、生活の動きも含まれている。天人一体になっている。中国の山水画は、普通、日常生活は入らない。入るとすれば、仙人の生活のような描写になる。ところが、雪舟は、人間の営み、生活は、壮大な山水の偉大さと同じレベルと見ている。その視線が雪舟の人物像である。」

1月10日 9:10 ? 編集済み ? いいね! ? 1

秋山 忠義 五山第3位の天童寺だね。

1月10日 9:08 ? いいね!を取り消す ? 1

おじゃら 倫子 帰国後、雪舟は中国地方や岐阜など、各地を転々とする。最後は山口県に庵を構え、晩年をそこで、絵を書いて過ごす。雪舟は晩年、どのように自分の世界を手に入れていったのか。  国宝「四季山水図鑑」(山水長巻) 16メートルに渡り、移りゆく四季を描いた壮大な作品。 絵は、冒頭は早春、年老いた人物が山道を登っていくところから始まる。この人物は、絵を見る私たちそのもの、あるいは、雪舟。行く手には大きな岩。先に進むと、霧にかすむ家々。まだ寒さが残っているのか、一面が湿った空気に包まれている。水辺の漁村に出る。帆を下・・・もっと見る

1月10日 9:21 ? いいね! ? 1

おじゃら 倫子 国宝 「破墨山水図」 1495年。 遠い山から降りてくる霧。水辺の風景。墨を撒き散らしたような絵は、もはや前衛絵画。墨が滲むのに任せて躍動している。雪舟がたどりついた境地。 ふさんが 破墨山水図を模写。 筆が紙に到着した瞬間、墨は画家の手を離れて滲んでゆく。偶然に任せながら偶然をコントロールする雪舟の筆は、果てしない丹念によるもの。 雪舟には自分の主張があるから、それで自然を見ながら、すすめてゆくという道がある。それが雪舟のすごさ。即興曲乱。 瞬間のすべてができちゃう。もちろん、心の中にはモチーフは・・・もっと見る

1月10日 9:35 ? いいね! ? 1

おじゃら 倫子 問「中国の人が、雪舟から見出そうとしているものはなんだと思いますか?」ふさん、テクニックとか、絵の強さとか、イロイロあるけど、それは、境地が低い。墨絵というものは、書くものの心が伝わる。心が出きていないに、どうして絵が描けるのか? そういうことを悟り始まった。彼の行動、雪舟の生涯に実行したことが、中国の画家にとって、勉強になっている。雪舟はどういう人物か。人物、行動を理解することにより、より大きな影響を中国の画家に与えている。

1月10日 11:06 ? 編集済み ? いいね! ? 1

おじゃら 倫子 白兎さま、思いの他タメになる番組でした。応挙は明らかに雪舟に影響を受けているし、水墨画の自由さという意味では、下手くそに見える絵の方が、新しいという評価なのかもしれません。解らない中にも、サクセスストーリーは確実にあり、運の良さだけではないという絵の良さというのに、周りの人が気づいたということになりますからね。よくよく整理し、自分がどう進むのかを考えたいです。

1月10日 15:11 ? いいね!

1月10日 10:58

メモ 三越、 三井越後屋、三井高利という商人が江戸時代に開業。商売が広がり、明治時期に、三井越後屋が、財閥となり、三越となった。 

三井記念美術館 粉引茶碗 銘 残雪。

茶人が取り上げて、茶碗として自分で使い始め、愛着を持ち銘をつける。

小堀遠州の嫡男が箱書きを書いた。茶道具は、誰が持っていて、誰が箱書きを書いたかということが重要。

国宝 「如庵」 の原寸大の再現。1618年ごろ。

織田信長の弟 有楽斎が、京都の建仁寺に建てた茶室。

明治41年、三井家の手に渡、昭和二十六年国宝指定。現在。名鉄ホテル所有となり、月に一度公開されている。

3.5畳の畳。

その複製の実物大が展示してあり、お寺の茶事に利用する道具なども展示している。

阿波の千石大名所有の、美好粉引 → 秀吉の所有に。 江戸時代に、三井家の所有に。美術館に入る前には、三井家の茶事に利用されていた。

●国宝 「雪松図屏風」 円山応挙 江戸時代 18世紀頃

この屏風を展示するために、ショーケースを特注。

右の松の枝が、手前に伸びてきて、左の松は、奥に向かって枝が伸びている。

遠見の松。 近寄ると、遠近感が伝わりにくい。

漆器 須弥山 (しゅみせん・仏教の世界の中心にある山。)の中腹にある、天子の宮殿が月宮殿 、 雲を示す板が上にあり、その上に水晶がおかれ、水晶は月を示す。

須弥山の世界を、三井の鉱山で取れた鉱石が散りばめて、蒔絵のなかに埋め込まれている。

小林清親(こばやしきよちか) 最後の浮世絵師 の描く日本橋三越界隈。

水野年方(月丘芳年の弟子で、鏑木清方の師匠)

美人画が得意。三越の着物カタログ的な浮世絵。着物のデザイン、スタイルなどを版画にして公開する。この時代には、ファッションリーダー(絵のモチーフの主流)は、女郎ではなく、学生などに変化している。(セブンティーン的な位置づけ)

ミニミニ茶道具と袋。

おじゃら画廊

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