◆◆◆ 2114 ★ ホドラー 西洋美術館 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送

(あとはいつでも見れますよん)

2014.12.9.

テレビ番組の消化中-2

メモ ホドラー 西洋美術館 学芸 新藤淳さんの解説

怒れる人

(元のタイトルは狂人) ホドラーの自画像

ホドラーは、自画像を多く残している。素描を含め百点以上残しています。

自画像を描くということは、いわば、セルフプロモーションするような側面もありますから。

文字によって書くのではなく、自画像によって、自伝を描いていたという言い方も出来るかもしれませんね。

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物語の必要人物を消してでも、身体だけをけいじする。というホドラーの身体表現に傾倒した作風に進化

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新藤淳さん

オイルトミー(老人が五人)

装飾的な画面をどう作り上げるか。

形の反復というのはですね、彼自信は、それを

パラレリズム = 形の反復

類似する形態、反復によって構成するという方法を見出すんですね。

類似する形態の反復というのは、ある視覚的な強度を高めると言っています。

音楽的発想といっていいかもしれませんが

何か倍音のように響いてくるというか、

反復によって絵が訴えてくる力が増してくる。と彼自信は考えていたようですね。

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ナレーション

感情三 1905 女性が四人

オイルトミーから十年、反復が生むリズムに目覚めたホドラーの作品は、華やかに変化します。

人物の強い輪郭線、一層装飾的な画面

そして、女たちの身振りや乳房によって、見る者の心にリズムを響かせます。

新藤淳さん

反復ですね。風景でも、ホドラーは、むしろ自然の中にこそ反復がある。

と考えて、それを絵画の構図の原理にしようとしたわけですけれども、

いわば、湖がイシメージを変換する、

スクリーンのようなものになっても映し出していくような感じでしょうか。

現実でありながら、現実でないような、あくまでも実景に即した風景なんですけれども、

それがどこか、ファンタジーにすり替わってしまうような、そういう 類の風景がだと思いますね。

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中略  後半 新藤さん

実はですね、バランティーノ(二十歳年下の恋人、子供を身ごもり、本人はガンにおかされているという現実)の死の課程を刻々と見つめていたときと丁度重なる時なんですけれども、

ホドラーは「無限への眼差しと」というふうに題される、五人の女性像が並んでいる、彼自信がずっと描いてきた、踊る女性の身体の反復によるリズムというのを 壁面規模で描こうとしたわけですね。

そこでおそらくやろうとしていたことが、リズムというのが、永遠におわらないもの

無限なものにつながるというユートピア的なヴィジョンだったと思うんです。

しかし、それを描いているかたわら、ほんとに刻刻として終わってゆく即ぶつ的に、終わるしかないものですね。

実に対照的な、一方には確実に終わりがある生のリズムがあり、他方にはまた終わらないものへの憧れというものが、ホドラーの中には同居していた。

というのが非常に興味深い、この画家のベクトルといっていいかと思います。

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素晴らしい解説。

ホドラーの記録を忠実に勉強され、本人の意思がどうであったのかという解説こそ、まさに、聴衆が聞きたい話である。

学芸の方の中には、作家愛のあまり、自分の感想やコメントが、解説に入り込み、事実や客観性を欠く場合も多い。

まあ、仕方ないんだけどさ、こちらは、アナタの感想を聞きたいわけではない。

作家がどう考え、どう創作したのか。

何を書き残し、何を書き残さなかったのか。

そういう話を、具体的かつ、要点だけ聞きたいのよ。

新藤淳さん。

図録送っておこう。(^O^)

というか、今、アーカイブを作り進めているからね。

私の現代芸術の集大成的なものが出来上がってからにしよう。

創作以外の、某かの活動は、作家なのだから、当然にしなければならない。

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