◆◆◆ 2085 ★ 伝統工芸展 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送

(あとはいつでも見れますよん)

2014.9.17.

近代美術館の壁面に、伝統工芸展のポスター。

ああ。今までは、テレビニュースなんかでも、開催の告知があったのに、最近は、ないねー。何か、不正でもあったんだろうか。

まあ、歴史のある画壇については、多かれ少なかれ、不明瞭な部分や、不名誉な部分は無いということもないだろうと思う。

私が公募展に出さないのは、そういう理由である。

足立区展に出して、賞とると、他の展覧会に出すこともできなくなってしまうしね。

イロイロ奥深いよね。

ということで、本日初日、銀座から、三越前まで流れる。

セリザワケイスケを観ようと出かけたのに、結局観ないことになる。

前に一度見たし、図録も持ってるからね。

前の展覧会の方がヨカッタということも、実はある。

伝統工芸展は、相変わらずの格調。

今日は、朝から青磁の格調について学んだため、リサ・ラーソンで脳を和らげ、

そうして、また、伝統工芸の格調の洗礼を受ける。

そうして、装飾バリバリの技巧を誇示した作品より、何もかもを排除して、作家の精神ともいえる造詣の箱などを前にすると、コチラの方が、心が落ち着くよね。

という話で、竜さんと一致する。

人形系は、もう少し、動きが欲しいけどな。

日本人形の美意識というのと、私の美意識がズレているんだろうと思ったりもする。

そうして、格調高くても、リサほどは稼げないんだろうと思ったりもする。

可能性があるとすれば、陶芸家ぐらいかな。

竹細工とかは、作るのに時間かかるもんね。

何百万で売ったとしても、何点かしか作れない。

陶芸は、ある程度の速度もあるし、人も雇える。

着物も、自分で糸から染めたりするからね。

それを織るわけで、時間かかるよね。

一年に一反とか、二反とかでは、生活できないもんね。

というように、売れたからといって、生活ができるわけでもない。

ニキッドサンファールの展示を見たときに思ったのは、彼女も、作品が暗い時代には売れなかったというところだろう。

女の子が好む、大衆向けのオブジェや、ドローイングをリトグラフにしたものがウケて、それで稼いで、更に大きな作品やパークなんかを作ったというのがスゴイ。

展覧会なので、初期の作品から、死ぬまでの作品が時系列で展示されるのが普通だけど、明るい作品だけ集めて展示をしたとしても、集客できると思う。

彼女の椅子やランプなど、本当に赴きがある。

それと比べて、リサの作品というのは、凡庸だ。

芸術ではない。

民具とか、日常雑器という類だと思う。

柳 宗悦(やなぎ むねよし)の「作為を排除した日常に潜む美意識」

的なものに共通するのかなあ。

ちょっと違うのかな。

リサの作品は、リサの作品であることに間違いが無い。どこかで見た感は、実は、バリのみやげ物なんかに、彼女の作品のパクリがあるんだよね。

柔らかい木を猫の形にカットして、カラフルにペイントした作品群。

バリ猫と呼ばれ、どの土産物店にも売られている。

その絵にそっくり。笑。

だから、私は、それが、リサの絵のパクリなのだと今日気づいたということになる。

そうだろう。

彼らには、オリジナリティーというものが皆無なのだ。売れるとなれば節操無く、似たものを作り売りさばく。

リサは、良く訴えでなかったよなー。

格調か、自我を表に出さないのか。

表現というのは多様にある。

リサは、やっぱ、もう少しキャラクター なんかの個性を作り、絵本とか、ショートムービーなんかを作るべきだったと思う。

考えてもしょうがないけど、そういう作品群だろうと思うし、もっと有名になったと思う。

とりあえず、彼女の図録は高くて買えなかった。

3250円。

4時間働かないと買えない。

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