◆◆◆ 2036 ★ 書道の話 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送

(あとはいつでも見れますよん)

2014.7.6.

小倉さんは、その場で、九楊先生のHPをググり、今度横浜でイベントがあるので、行くかどうか悩んでいた。

まあいい。ご縁のものだし、アタシが強要する筋のものでもない。

良くなりたいという気持ちがあれば、習うとか習わないということとは別に、作品というものは、変わってくるものなのである。

但し、一流の作品というのは、見て歩かなくてはならない。大量にである。

逆に、悪い作品を見てはいけない。

臨書を長らく習っていた人で、創作もできるのであれば、好きな文字を好きなように書く。

それでイイような気がする。

公募に出して賞をもらうということは、すなわち、力のある人に褒めてもらったということ以外の何ものでもないからである。

オジャラ「公募に出すんなら、賞とらなくちゃ、意味ないでしょ。」

オグラ「賞を目指して頑張ります。」

オジャラ「創作の目的が、賞になってはダメなの。そういう理由では、賞はもらえないの。作品そのものが、アナタのものにならないとね。それが、良くなる。めざすべきところはそこなの。」

アタシは、通りかかれば『書の展示』というのは、わざわざ、見て歩いている。

理由は、タダの場合が多いからで、有料のときには入らない。

金を払ってみたいという品は皆無だからである。

が、無料であれば見てもいい。

書とは何か、書を楽しく書いているのか、書はこれから何処へ行くのか。日本人の毛筆という文化は残るのか。何故お金が稼げないのか。

何が楽しくて、この会に参加しているのか。

アタシは、書の様々な問題について、いつも考えながら展示を見ている。

右の書は、ハーネミューレに書いている。今思えば無駄だった。

もう少し安い紙に、何故描かなかったんだと後悔(1枚880円)

考えても仕方が無い。

もしかしたら、ドクターマーチンのインクかもな。

滲み方がハンパないからね。

この作品どうしたんだっけなー。

見つかるのかな。

オグラさんに、アタシの下手糞な奥の細道の冒頭と、千住のくだりを書いた色紙を見せる。

オジャラ「ああ、これ最近の。筆で書いたんじゃないけどね。墨ではある。

もらった色紙に書いて、拾った額に入れて展示というのもね、貧乏芸術道の極みだわ。」

芭蕉の奥の細道は、俳句集でもあるけど、旅のエッセイである。

そうして、

『行く春や鳥啼き魚の目に涙』

という俳句は、

芭蕉が、これから奥の細道(東北)に向かい、旅に出るときにね、品川から、そこの千住大橋のところまで、小船で弟子たちが見送りに来てくれたの。

この辺りは、魚市場があってね、魚が、敷いたゴザなんかの上に並んでいて、みんな目がウルウルしていたんだと思うの。

そんでね、旅立つときに、鳥も啼き、魚も泣いて、弟子たちも、自分もみんな泣いて、お別れをした。

そういう(命掛けの、もう二度とあうことがないかもしれないほど危険な)、旅への出発のとき、皆の感情を表現した俳句なの。

アタシは、彼女にそう説明した。

彼女は、メモっていいですか。と聞くので、ググるように伝える。イッパイ出てくるからね。あは。

それから、今作っている書は、自分の筆跡というのを前面に出すようにしているという話になる。

字を見てアタシの書だと解るものでないと、売れないの。

それは、絵と実は同じ場所にある。

現代の書家と、目指すべきところが対極にあるようにも思う。

書家は、書を専門に扱う画廊が、どんな筋の書で儲けているかも、もっと学ばなければならない。

おじゃら画廊

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